−インド。
なんと短く、そしてなんと重い言葉だろう。 インド。この言葉は実に9年もの間、重く、不気味な、そして憧れの入り混じった混沌−それは決して触れてはいけない宝石のように−自分の心にうずくまってきた。古来より多くの人が目指し、喜び、傷つき、泣き、笑い、絶望を感じ、行き倒れ、這いつくばり、そして幸せを得た場所、それがインドである。
ついにインドへ行く−。
最初に自分の中にインドという言葉が刻まれたのは、中国にいた20歳の頃である。初めてバックパッカ−というものを経験し、その後様々な国を旅する基礎・忍耐力を学んだ中国である。1年の留学である程度の旅の経験を積み、中国国内ならどこへでも行けると言う妙な自信を持ち始めた頃、壁のように立ちはだかった言葉があった。それがインドだった。
はっきりと覚えているのはパキスタン・フンザという村である。中国側国境で知り合い、一緒にパキスタンまで抜けてきたバックパッカ−が話した。
「インドへ行くんですか。そうですか、あの国へ・・・」
隣に座っていたバックパッカ−〜パキスタンよりインドへ旅立つと言った彼−に向けられた言葉である。この時初めてインドとは一体なんなんだ、という疑問を持った。
やがて数少ない情報を集めて行くうちに、インドとは恐ろしい場所だということが分かってきた。
−インドの夜行列車で寝ていると背中からナイフで刺されるらしい。
−黒いテーブルと椅子だと思って近づいたら、一瞬で白くなった。ハエが飛び去ったのだ。
とんでもない国である。そして極めつけが、留学当時、音楽をやっておりワイルドと言うイメージで見ていた人がインドへ行って肝炎になり、そのまま日本へ帰国してしまった事だ。恐ろしい国だ。自分など行ったらすぐ身包み剥がされてしまうだろうと恐怖した。それからである。インドという国が自分の中で、畏敬とそして羨望の国へとなったのは。
インドという国は行く時間、そして行く人を選ぶ。
人それぞれインドが受け入れてくれる時期があるように思う。いつかは分からない。20歳かも30歳かも、その時期が訪れない人もいるかもしれない。ただ、切望すれば必ず行けるのもインドだと思う。
そしてインドへ行く条件、それは年齢を積み重ねた深慮かもしれないし、若者が持つ青い若草の様な心なのかも知れない。自分の場合は何だろう、はっきりと分からないが、強いてあげるならば「畏敬」か何かだろうか。
さらに、インドは人を選ぶ。インドに選ばれた者のみインドの土を踏むことができる。その条件は未だ分からない。そんなものがあるかどうかすら分からない。その条件は人によって違うだろうし、同じ人間でも時によって変わりもするだろう。ただ、あの頃からずっと考えてきたのは自分はインドに行き足るべき人間だろうか、インドは自分をどう受け入れるのだろうか、そんなことである。インドへ行った事のない人間は色々考える。だから焦らないようにした。インドを行くべき日は必ずやって来る。そう思っていた。
インドという国は自分にとって1つのゴールであろう。バックパッカ−としての自分、20代としての自分、そしてよく分からない理由の為の自分。そうなのだ、本質はこれだと思う。よく分からないのだ。何が自分をインドに引きつけ、魅了し、そして何を求めているのか。まったく分からない。インドにその答えがあるとも思えない。期待もしない。まあ、そんなに真剣に考えた訳ではないのだが、インドを歩く時はいつもの自分でいたいと思った。この2本の足でインドを歩いてやるのだ。そして、食ってやる。殴ってやる。どつかれてやる。楽しみだ。
余談となるが、インドへは是非陸路で、国境越えで入りたかった。飛行機でポンと着いてしまったらちょっと興醒めだと感じたからだ。 インドと陸路で国境を有している国は、パキスタン、ネパール、ミャンマー、そしてバングラデシュの4ヶ国。パキスタンは当時危険だったので却下。ネパールからのインド入りはメジャー過ぎて面白みに欠けこれも却下。ミャンマー間の陸路国境は現在開放されていない。となると残りは一つ。そうバングラデシュだ。このどこにあるのかよく知られていないであろう国から今回の旅は始まる。
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