|
 |
|
写真好きなバングラの人々 |
|
|
「ベンガル人は好奇心が強いがいい奴も多い」、これがバングラを周った感想である。旅行中もそれほど嫌な思いをしたことはない。困っていると助けてくれることも幾度かあった。そんな風に思っている頃にその些細な出来事は起こった。
長距離移動は避けていたので日数をかけてこまめに街間を移動していたのだが、ある時バスで隣り合わせた1人のおやじがいた。単語レベルの英語を操るおやじで、こちらの言っている事はほとんど理解できていないようだったが、チャイやバナナ、豆などをくれたり、休憩時にはトイレまで案内してくれたりしてくれた。チビでデブでハゲだったが、ベンガル人らしくいい奴だと思っていたら突然「私は貧しい人だから200tk(約400円)くれ」と言われた。バングラでは珍しく上下スーツを着、常に何かを食べたり新聞を読んでいるような奴が、、「貧しい」だと?この言葉には失望したと共に悲しくなった。
以後、この男の隣から移動しほとんど相手にしなかった。おやじは何度もこちらを見、悲しそうな顔をして途中の街で降りていった。
いい奴だったのかそうでなかったのか、今では分からない。
(写真右:カメラ好きなベンガルの人達)
 |
|
| 仏教遺跡「バハルプール」 |
|
|
|
 |
|
| バショルゴール |
|
|
|
 |
|
| バシュ・ヴィハラ(僧院跡) |
|
|
|
バングラでは4つの目的を掲げていた。
1.自然遺産「シュンドルボン」
2.イスラム遺産「バゲルハット」
3.仏教遺産「バハルプール」
4.外輪船「ロケットスティーマー」
その最後の目的「バハルプール遺跡」があるボグラに到着したのはバングラ入りして既に1週間を過ぎていた頃だ。ボグラはは地方の主要都市だが、十分に田舎である。その田舎からさらに田舎に向かって1時間以上、広大なジャガイモ畑を幾つも越えた先にその遺跡はあった。
バハルプールはパーラ朝時代に栄えたインド仏教最後の聖地の跡である。インドで生まれた仏教はやがてヒンドゥー教やイスラム教によって追い詰められ終いには滅んでしまう。インド仏教が最後に光を放った場所、それがここバングラにあるバハルプールである。その影響は、ミャンマーのパガン、インドネシアのロロジョグラン寺院、カンボジアのアンコールワットにも影響を与えたと言うのだから物凄い遺跡である。もし、当時のままの姿で今の世に残っていたらそれは恐らく地球上最も素晴らしい仏教遺跡になったであろう。が、残念ながら現在ではかすかに残る煉瓦が小山のように積み重なっている程度である。非常に残念だ。 (写真左:バハルプール)
お金がないのか、併設されている博物館もかなりしょぼい。しかし、中に展示されている仏教やヒンドゥー教の神々の彫刻などは素晴らしいの一言である。文化的価値は分からないが、持って帰りたいほどだ。欲しかった。
翌日は上記バハルプール遺跡と同時代の遺跡「モハスタン」に行く事にした。モハスタンとは、8〜12世紀にバングラディシュで栄えたパーラ朝を代表する遺跡郡である。
ボグラからはバスで20分ほどで着く。道沿いにあるような小さな街。すぐ隣に砦跡が見える。近い。バスを降りた後、近寄ってきたリキシャに乗り、まずは「バショルゴール」へ向かう。
この遺跡は「ある王子が結婚初夜に蛇に噛まれて死んでしまったが、蛇使いの娘によって生き返り幸せに暮らした」というよく分からない伝説が残っている。遺跡自体はバハルプールと同様、レンガと小さな丘が合わさったような遺跡。地元の子供が登ったり降りたりして遊んでおり、保存状態は良くない。
その後「バシュ・ヴィハラ(僧院跡)」へ。生憎ここも建物はなく、土台が微かに残っている程度だ。しかし、大昔ここで多くの僧達が仏教を学んでいたかと思うと実に感慨深い。今はとても田舎の街といった感じで、小風が吹き鳥がさえずるとてものどかな場所になっている。
ここボグラではバハルプールのような遺跡と、もう1つ有名な物がある。写真一番右上がその「有名な物」だが最初はこれがその有名な物とは思えなかった。実はこれヨーグルトである。ボグラは洪水の少ない台地に位置しているがそれが気候に合ったのかヨーグルト作りで有名な地でもあるのだ。
正直、最初は「小さな肥溜め」としか思えなかった。見た目の色といい、質素な素焼きの入れ物といい「食えるのか?」と思ったぐらいである。しかし、一口食べて驚いた。美味いのである。それもかなり美味い。しっとりとしたプリンのような舌触りに、甘味がきいた味付けである。まったくもってヨーグルトである。こんな美味いものでお腹を壊すはずがないと思いこれ以後食べ続ける事になった。バングラ美味い物列伝入り。
(写真右上:ボグラのヨーグルト)
ボグラを発ち、バングラ最後の街に向かうこの日は朝から少々熱っぽかった。そう思っていたら案の定、昼過ぎにはクラクラになっていた。この辺りになると随分寒い。後で分かったのだが風邪の為体温が下がっていたのだ。
5時間後、最後の街ラルモニルハットに到着。もうこの時点では頭痛と寒気、腹痛で息絶える直前だった。バナナとビスケット、それに水を買いそのままホテルへなだれ込む。結局これより次の朝まで2度起きただけでずっと眠り続けることになる。
バングラでは2度目のダウンだったが(実は一度目はロケットスティーマーの中)、これを乗り越える事により旅に対する体の抵抗力がつく。中国→モンゴルの時もそうだったが、これで多少の無理は利くようになる。ようやく旅の洗礼を受けたのだ。
翌朝7時起床。ついにこの日を迎える。体も回復している。まだまだ行けるぞ。国境の街まで2時間、ボグラから北はまったく英語が通じずかなり苦労したが、あの「インド」がもうそこまで来ている。抑えられない喜びを感じながら、未知なるインドに胸膨らせて国境にある入管の質素なドアの前に立つ。
 |
|
| チャイを入れるおやじ |
|
|
|
ベンガル人は総じていい奴が多かった。「擦れていない」というのが正直な感想である。ただ、非常に好奇心が強く、外国人は好奇の的であり、何度ベンガル人に囲まれたか分からない。ただ危険は感じなかった。
食事は寂しかった。ほとんど毎日カレーを食べていたが、食べ物にあまり飽きない自分が久々に飽きたと感じたのがバングラのカレーである。イスラムの国である為ビールも飲めず、ただひたすらカレーを食べていた。どこへ行っても自信気に「カレーを食べろ」と言われれば断るわけには行かない。最後はもう諦めていた。笑顔で食べた。
その他にも、大気汚染やリキシャのベルによる騒音等は思い出すだけで気分が悪くなったりもするが、ツーリスト産業がないこの国ではこれまでにない経験もできた。ベンガル人と一緒の物を食べ、一緒のバスで移動し、一緒の宿に泊る。外国人が集まる場所などないので、あの独特の空気もない。素の国を感じることができる。初めての経験だったかもしれない。 (写真左上:チャイを入れるおやじ)
庶民の足としてのロケットスティーマー、ドイ(ヨーグルト)にカレー。これだけでもまたベンガル人に会いに来る理由はあるかな。
| データ |
|
| クルナ⇒クシュティナのバス: |
フェリーガートより90タカ/1人。所要約5時間。 |
|
|
| バハルプール遺跡: |
行き方は世界遺産のページを参照。入場料は2タカ(約4円)とこれまでの世界遺産の中で一番安い。 |
|
|
| モハスタン遺跡跡: |
行き方はボグラからジョイプルハット行きのバスで20分。道沿いにあるバススタンドで降りる。すぐ隣には砦跡がある。遺跡はあちこちに散らばっているのでリキシャを利用するのが便利。 |
|
|
| ボグラでのビール: |
アルコールのない国だが、ボグラのセンチュリーモーテルホテルではノンアルコールのビールを飲むことができる。ただし、ビールの楽しみ方を知らないのか、非常にぬるくて気の抜けたビールが出てきた。しかも150タカと高額。正直まずい。 |
|
|
| ボグラ⇒ラルモニルハット |
ボグラから直通のバスはないので、途中のロングプールという街で乗り継ぎが必要。所要約5時間。 |
|
|
| ラルモニルハット⇒ブリマリ |
バスはラルモニルハット市内中心付近にある、小さなバスターミナルから出る。午前8時発。ブリマリまで所要約2時間。ちなみにインド側の町「シリグリ」までもブリマリから2時間程度で着く。 |
5.憧れのインドと美しきダージリンへ
Homeにもどる
|