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2004年1月15日〜2月22日
From Nagoya




1.序章 「遥かなるインド」

2.喧騒の街「ダッカ」と「ロケットスティーマー」
3.世界遺産「シュンドルボン」と「バゲルハット」
4.世界遺産「バハルプール」、そしてインドへ
5.憧れのインドと美しきダージリン
6.インドバスと聖地ブッタガヤ
7.聖地「バラナシ」
8.エロティック遺跡とムガール帝国の遺跡都市オルチャ
9.タージマハルと最後の街「デリー」






9.タージマハルと最後の街「デリー」

完璧な芸術作品だと思う。広大なインドの大地に創られた一粒の奇跡−タージマハル−。

タージマハル 大理石の模様
タージマハル 大理石で作られた模様

今回の旅の楽しみの1つであったタージマハルを見たのは、アーグラに入った翌日である。幾つかの遺跡などは、期待をしすぎて却って貧相に見えたりするものだが、タージのその造りは期待を十分に答えてみせるものであった。

全身真っ白の大理石で造られた建物に、なんとも極め細やかな細工や模様が描かれている。驚いたことに、その模様1つ1つも色の違う大理石を削って造られている。右の花の写真もその1つである。

この馬鹿げた作品を造ったのは、時のムガール帝国の王、シャージャハーン5世である。亡くなった妃にささげたものとして造ったのは有名な話だが、22年もかけてこれを造った為にムガール帝国は財政的に傾き、やがて王自体も捕らえられてしまう。中国の秦の始皇帝と並び建築王として有名だ。入場料は750Rp(約1,500円)もしたが、それだけの価値はあるだろう。  


アーグラ城
アーグラ城

アーグラでは他に世界遺産の「アーグラ城」や「ファーテープスィークリー」なども見学したが、やはりタージの迫力にはかなわない。それほど大きな街ではないが、見所の多い場所ではある。  

アーグラで約束していたドイツ人・ピーターと再び再会した。
結局、観光等には一度も一緒に行かなかったが、最後の夕食をここで共にした。日本語も少し話すへんてこなやつだったが、彼にはとても感謝している。この後デリーに行くと言っていたので会うこともできたのだが、敢えて約束はしなかった。旅には別れは必要だし、その時々の偶然が楽しい。デリーで会えればそこでまたご飯でも食べようと思った。

彼との印象深い1シーンがある。
オルチャへ向かっている時だったが、車掌が「ここだ」と言うのでローカルバスを途中で降りた。知らない場所で、右も左もまったく分からなくなった時、彼はタバコを1本取り出し言った。

「今どこかまったく分からない。でもこういうのは好き。」

煙草をふかしながらそう話すピーターの顔を、似てるなと思いながら眺めたのをよく覚えている。


満月のアーグラの夜道で、最後の握手を交わし、
「Good luck. My frend.」

と、さらに強く握り合った手を今でも忘れない。


マフーン廟

いよいよ今旅最後の街「デリー」に到着した。
アーグラから物価の上昇と共に、生活(?)レベルも上がって来ている。アーグラではピザ、そしてデリーではマクドナルドに足を運んだ。食べたのは「チキン・マハラジャ・マック」。もちろん名前で選んだ。味はビックマックにカレーソースを入れたようなもの。まあまあおいしい。

デリー自体にはたくさん見るところはある。「クトゥブミナール」「バハイ・ハウスオブ・ワーショップ」「フマユーン廟」「ラーホール門」「ラールキラー」「インド門」などなど。幸運なことに、カジュラホーで出会った韓国人の女の子達と再会し、一緒に観光に出かけることにした。今回は本当に韓国人との付き合いが多い。
 




 


少し長くなってしまうが、ここでインドについて書いておきたいと思う。
10年近くもあこがれ続けたインド。ついにそのインドの大地を踏みしめる時が来た。バングラのブリマリ国境からインドに入った時の喜び、両替所にてガンディーのお札に会えた時の感動は今でも忘れない。

予想以上にまずかったインド料理。予想以上に寒かったインド。予想以上に辛かったインドの移動。予想以上に汚かったインドの街。予想以上に穏やかだったインド人。すべてが予想以上で楽しい旅だった。

今、インドが好きか嫌いかと問われれば、答えは「どちらでもない」だろう。
インドは中国人のようにしつこいし、カンボジアのように埃っぽい。タイのように暑いし、食はモンゴルのように寂しい。他のアジア諸国となんら変わりはない。でもこんな風に書いているのを考えると、やっぱり好きなのかな、とも思う。

デリーの街並み
デリーの街並み

先にも書いたが、インド人である。
アーグラからデリーまでの電車は実はぎゅうぎゅう詰めの中で5,6時間も耐えていた。駅に着いたら着いたで、違う駅だったし、人は多いはでかなり苛立っていた。そこに有名なリキシャ達が待ってましたとのように、「ヘイ!」とか「ハロー、リキシャー!」とか言ってくる。

最初は無視をしていたが、しまいには「うるせー!このボケ!!うせろ!!」等とかなり大きな声で怒鳴り散らしていた。さすがのインド人も驚いたようで、後ずさりしていた。ヒゲ面で、相当怖い顔をしたいたようで、まさに「インド人もびっくり」だったようだ。


理由はある。
苛立っていたのもそうだが、自分の中でリキシャのオヤジ等とは取っ組み合いになるほど激しい異文化交流を期待していたのだが、実際にはかなり順応で、正直あっけなかった。もちろん法外な値段を吹っかけてくる輩は多いのだが、そんなのは海外では当たり前だし、特に珍しいことではない。後で思えばバラナシ辺りが一番悪かった(楽しかった?)ような気がする。 とにかく悪名高いアーグラなどでは、格安でリキシャに乗り、コミッションの宿には泊まらず、リキシャオヤジに怒鳴りちらすわで、最後にはリキシャオヤジから、

「お前は最悪のツーリストだ。」

とのお褒め(?)の言葉を頂いた。(ピーターも笑っていた)
とにかく変な意味、不完全燃焼だった。  


そんなインドだが、是非また来たい。まずいインド料理も食べたいし、うざいインド人にも会いたい。

1つだけよく分かったことがある。それはインドが特別な場所ではないということ。

だが訪れるに値する素晴らしい国だということ。
自然な気持ちで是非また訪れたい。


シンガポールの教会      ちなみに帰りはシンガポールで17時間のトランジットがあった為、街を歩いてみた。

ごみの国から、ごみのない国へ。
混沌から、秩序とそれによって造られた空間へ。  

シンガポールの空の青さとマーライオンの白さが、目に痛かった。  



















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