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2002年5月27日〜6月16日
From Chiangrai



中国・モンゴル旅行記1「出発 〜 中国(北京)」
中国・モンゴル旅行記2「大同」
中国・モンゴル旅行記3「国際列車」
中国・モンゴル旅行記4「モンゴル(ウランバートル)」
中国・モンゴル旅行記5「カラコルム」
中国・モンゴル旅行記6「旅の終わりに」





1.出発 〜 中国(北京)

出発前に何度も行くのをやめようかと思った。
出発前になって突然日本語を教えていた大学から授業開始日の変更が入り、こじらせていた風邪は酷くなり、そして前日になって台湾でチャイナエアラインが墜落したとのニュースが入る。。さらに当日になってバスに乗る一時間前から突然の大雨に見舞われる。。何かが「今回の旅はよした方がいい・・・」、そう言っているようにしか思えなかった。

バンコクのドンムアン空港には朝の6時に着いた。しかし、出発までの待ち時間、約5時間近くを空港内の椅子に座ってたのだが、それまでずっとチャイナエアライン墜落のニュースを見る事になった。これから飛行機に乗ろうって人間が墜落のニュースを何度も見るってのは非常に良くないものだ。気が滅入る。結局無事、離陸したのだが不吉な事はまだ続く。機内ではずっと本を読んでいたので初めは気付かなかったが、ふと周りを見てみると自分の席の斜め前の方で人だかりができている。よく分からないが多分気分の悪い人が出たのだろう、その程度に考えていたら、スチュワーデスが酸素ボンベを持って走って来た。意外に事態は重いらしい。人だかりも代わる代わる増えていく。よくTVなんかである、
 「誰か、お客様の中でお医者様の方はいませんかー!!」 
そんな感じだ。周りの人間はみな野次馬に行っていたが、自分は失礼だと思ったので大人しく座っている事にした。
心配とは裏腹に、5時間ほどで無事北京空港に着いた。降りる際に見かけたのだが、人だかりのあった場所に痩せこけたじいさんが横になっていた。あれだけいた人は今はもう誰もいない。薄情なもんだ。飛行機が着いてしまえば皆、我先に降りようとする。世の中こんなもんなんだろうか。
 
20歳の頃に留学して以来の中国だ。7年ぶりになる。正直中国語も綺麗さっぱり忘れてしまっている。証拠に、機内に預けていたナイフを返してもらおうと中国語で頑張ったが、次第に自分でも訳が分からなくなってきて結局「マイナイフ・プリーズ」で終わらせてしまった。
中国には色んな思いがある。中でも旅行ついての思いでは格別なのもだ。こうしてバックパッカーなんてものをやってるが、すべてはこの国から教わった。特に中国の旅を代表する「列車」には何度も何度も乗った。長くなるので割愛するが、とにかくすべてにおいてひどかった。その分、無事駅に辿り着いた時は毎回嬉しかったもんだ。そんな訳で久々に北京駅に立った時、しばらく体が動かなかった。
 「中国に来たんだ・・・」
建物や周りの風景、人の多さや中国独特ののニオイ。何一つ変わっていなかった。北京駅に立っただけで色んなことが走馬灯のように思い出してくる。しかし時間がない。もう19時になっている。早く宿を探さなければ。
迷った挙句、宿(京華飯店)に着いたのは10時過ぎだった。真っ暗になってしまったのと、道に迷ってしまってせいでこんなに遅くなってしまった。40元(520円)の6人ドミトリーに入ると、女の子がいた。
 「こんにちは。」
 「え、あ、こんにちは・・・」
日本人かと思ったが、話を聞いてみると韓国人だった。日本に5年ほどいたことがあるらしい。日本語が上手い。発音もほぼ問題ない。これからウイグル、パキスタン、インド方面に行くという。この時は、まさかこの子とこれからモンゴルに旅立つまで一緒に旅することになろうとは思いもしなかった。
7年ぶりの中華料理、と言っても屋台だが。へんてこな麺料理が出てきた。食べてみる。辛いがうまい! ビールを頼んだら瓶ごと出てきた。隣の中国人を見るとそのままラッパ飲みをしている。中国の屋台って、コップなかったっけ?って思っていたが、そのまま飲んだらこれが美味いのなんの。頭が痛くなるほど冷えている。真っ暗な夜空を見ながら思う。これから始まる3週間の自由な旅。それを思うと自然とにやにやとしてしまう初日の夜だった。

北京の街は恐ろしいほどに綺麗になっていた。町並みは綺麗に整備され、そこら中に清掃のおばちゃんがいる(しかもちゃんと働いている)。なかでも街中の緑の多さには驚いた。スプリンクラーなどの設備がしっかり機能している。2008年のオリンピックを意識したものだと思うが、それにしても素晴らしい。我がタイのバンコクなどとは比べ物にならない程いい。空気も悪くない。ドミ(ドミトリーの略)で一緒だった日本人はバンコクの方が好きだと言っていたが、人間にとって緑に溢れた街っていうのはなるほど魅力的だ。


7年ぶりの北京駅! 京華飯店のドミトリー 北京の町は綺麗になっていた


朝から忙しかった。モンゴルビザ申請に国際列車のチケット手配。あちこちと動き回る。大使館街に行って驚いたのだが、ちょうど先日起こった北朝鮮人亡命事件のせいですごい警備になっていた。すべての大使館を鉄線で囲み、やたらめったら警備の人が立っている。うかつにも中国語で道を尋ねてしまったので、ものすごく怪しまれてしまった。パスポートを見せると丁重に教えてくれた。数日後にチケットもビザもとりあえず問題なく取ることができた。モンゴル行き国際列車がでるまで大同という街で時間を潰すそうと考えていた為、そのまま北京駅の外国人ブースでチケット購入。問題なし。
その後天安門にやって来た。これまた久々だ。さすがに北京駅ほどの感動はなったが、それでもすべてが体に響いてくる。と、同時にお腹も響いてきた。中国の水は硬質だ。水が変われば腹を壊すのは当然だが、やはり来た。さすがに食事ごとに冷えまくったビールをがんがん飲み、マックシェイク(タイにはないのだ)、凍ったミネラルウォーターを立て続けに腹に流し込めば下痢にもなるだろう。
 (少しここから話が汚くなります。どうか御了承ください)

早いとこ天安門の写真を撮りたかったのだが、出てしまいそうでうまく歩けない。それでも自称写真家の意地で何とか撮影。

天安門
天安門

先ほどからずっと「トイレ」って文字を探しているのだが、何故か全然見当たらない。天安門は広くて有名なのだが今回ほど広いと感じたことはない。天安門まで来てまさかこの広い広場を内股で横断する事になろうとは思わなかった。最後は這うようにして辿りつたトイレ。天安門の右端にあった。なんと無料!さすが首都、北京だ。しかも入ってビックリしたのだが、素晴らしく清潔なのだ。壁なんかも流線型でまるで近未来のトイレにでもいるようかの素晴らしさ。天井も光が入るような素材が使われており、全体が明るく保たれている。いいぞ中国。早速トイレへ。半分脂汗を流しながら、戸を閉める。んんっ??
 「ない・・・」
あるはずの物がなかった。鍵である。鍵がついてなかった。まさかと思ったがステンレスの扉は冷たく、何も答えてくれない。中国ではよくあるこなのだが、まさかこれだけのトイレで鍵がないとは・・・ 驚いたが別に問題はないだろう。しかし「別」の問題はあった。紙を持ってくるのを忘れた。すでに外に買いに行く事は不可能な状況であった。使えそうな紙もない。思い出した。タイでは手で拭く。水は・・・ 水はガンガンに凍ったミネラルウォーターがある。 ・・・後はご想像に任かせることにします。。

天安門の後、北京で一番の繁華街「王府井(ワンフーチン)」なる通りにやって来た。すごい。すごい通りと人だ。ここはまるで日本そのものだ。大きなデパートやおしゃれな店、そしてたくさんのとてもおしゃれな中国人が歩いている。女の子もとても可愛い。便所ゾウリで歩いていた自分が恥ずかしくなってきた。物価も高すぎたので、安っぽいジュースを買い少し休み、そそくさと退散した。
宿に帰り、韓国の女の子(京ちゃん)に大同に行く事を話すと、
「私も一緒に行くから、ジュンちゃんチケット買ってきて!」
と、お金を渡された。あまりにも強引に、そしてあっさりと渡されたので、つい受けてしまった。まあ、断る理由もないし、いいか・・ これが旅。

司馬台長城 司馬台長城
司馬台長城

次の日は司馬台長城という万里の長城に行って来た。京華飯店からツアーを行っていたので参加。綺麗だったが、3時間近く坂と階段を登っていたのでかなり疲れた。ただ、人は少なく割と自然の形で残っているので、八達嶺長城などの人の多い長城に飽きた人でも楽しめると思う。

明日は「大同」である。丸4日間ぼっーとする予定。楽しみだ。しかし最終的にはこの街がとても恐ろしい思い出の地になるとは思ってもいなかった。 


データ
※空港から市内(北京駅付近)までエアポートバス:16元
※宿泊:京華飯店(北京、40元/6人ドミトリー)
※食事:麺2元、ビール2元(屋台)、マックシェイク4元
※アクセス(司馬台長城):京華飯店から60元/1人でバスが出ている(8時半出発、約11時到着:片道約2時間半)







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