1.旅の始まりは海から エベレストが見たい− 世界で一番というエベレストが見たい。 正直、かなり適当に生きてきた自分だが、一度自分を見つめ直すという意味でも「世界で一番」っていうものを無性に見たくなった。それもできれば大きなものがいい。大きくて雄大で、こんなちっぽけな自分など吹き飛ばしてしまうほど凄いもの。 エベレスト。 そうだ、エベレストを見よう。世界一のこの山は見るだけでも大変なようだけど、何としてもこの目で見てみたい。 こうして今回の旅の行く先が決まった。 旅の計画を少し考えて見る。 エベレスト、ヒマラヤへ行くのならやはりその辺りもたくさん旅したい。例えばチベットなど。ラサも行ってみたい。エベレストが見られるネパールへは幸いチベット(中国)から入国可能なので、中国、チベットは旅先として決まった。これに一応インドを加えれば、それなりの旅ができる。期間は2ヶ月程度。細かい日程はとりあえず無し。さて、どこまで行けるのか。 中国へ行くのには、船を利用する事にした。 旅人の間では有名な、大阪(神戸)などから上海に出航している国際船だ。2泊3日という船旅になるが、航空券の代金を考えると2万円強で渡航できる船は魅力的だ。それに何も急ぐ事はない。ゆっくり旅の始まりを楽しめばいい。 北京五輪で発給が怪しかった中国ビザを無事取得し、京都に向かって名古屋を出発するバスに乗り込んだ。京都に行くのは、インドで知り合ったT君に会う為である。 時間が正確で、無言の静かなバスは定刻通り16:00に京都駅に着いた。予約しておいたG.H.へチェックインする。2,200円という価格で京都駅近くに宿泊できるので、かなり満足だ。部屋に窓はないがそれぐらいは仕方がない。 待ち合わせの17:00までまだ十分時間があったので、歩いて西本願寺まで行く事にした。何故か工事中であったが、古い造りのお寺や、世界遺産にも登録されている唐門を見ることができた。
その後T君と合流し、何だかんだで深夜24:00近くまで飲んでしまった。酔っ払って宿に戻ると、幸運にもドミには誰もいなかった。独り占めである。ふらふらのままシャワーを浴びて寝る。 翌朝、少し二日酔い気味のまま時間があったので東寺まで歩いて行った。朝の京都の裏道を歩いていると、観光では見えない街の風景を楽しむことができる。通学、出勤する人々や、犬の散歩をしながら立ち話をする主婦、植木に水をやる老人など。すごく天気も良かったので、東寺までの道は退屈はしなかった。 美しい五重塔が見事な東寺なのだが、入場料を取られるので外から眺めるだけにした。時間がそんなにないのでゆっくり入場はしていられないし。 09:30、チェックアウト。中国行きの国際船(蘇州号)の出航地点は大阪なので、京都駅から大阪行きのJRに乗る。大阪には無事着いたのだが、着いてトラブル発生。切符がない。どうやらキヨスクでおにぎりを買った際に、そこに置いて来てしまったようだ。。追加で540円を払う。。 広い大阪を移動して、11:00にようやくコスモスクウェア駅に着く。船が出るターミナルまで徒歩3分と書いてあったが、歩いたら10分以上も掛かった暑い。。船のチェックインが11:30までなので、もたもたしていたら乗り遅れるところだった。 フェリーはでかい。でも、2等雑魚寝室は思ったよりも狭かった。12:00出航。しばし日本ともお別れだ。
船内はそんなに広くはなかったが、必要な物は全て揃っている。シャワーは24時間、卓球や麻雀室、自動販売機など不自由はしない。特にカップラーメンが230円で購入でき、水・お茶が飲み放題なのは嬉しい。乗務員さんも美人揃いだ。レストランも500円強で利用でき、良心的価格である。 2等雑魚寝室。寝る場所は早いモン勝ち。マットレスや掛け布団のようなものがあるので、自分で確保して使う。2等の乗客は日本人と中国人がほぼ半々ぐらいだろうか。 朝食は無料で07:30から利用できる。予想はしていたが、07:30になると大勢の中国人で溢れ返る。そしてしばらくするとほとんど誰もいなくなる。09:00まで利用できるのだが、08:00過ぎには窓際の席でコーヒーをゆっくり飲む白人が数名いる程度になった。「そんなに急いで食べなくても・・」と思いながら、青い海を眺めながらコーヒーを飲む。
それにしてもよく揺れる。天気は抜群に良いのだが、揺れて気持ち悪い。午後からは甲板に出て景色を眺める。青く広い海が一面に広がっている。風はあるが、日差しが暖かく居心地が良い。
贅沢な時間である。揺れはまだ収まっていないが、このひと時こそ船にして本当に良かったと思う時だ。深い海に深い空。単純な風景だが、その大きさに飲み込まれそうだ。今回はエベレストを見に行くのだが、一体どのくらいの高さまで登るのだろうか。出発はここ海抜ゼロ。遠くて高い空を見上げる。
蘇州号からの風景を動画でもどうぞ。
ここで蘇州号の雑魚寝室で一緒になった人を少し紹介。 昆明の少数民族の笛の先生と婚約した笛の達人(マッサージも上手い)K氏、色んな国へ行き英語のみならず中国語も話すT氏、その他20年前にヒマラヤへ行った老人や、去年今回自分が行くカラ・パタールトレッキングをした老人などやはり個性揃いである。 特に笛の達人K氏は面白く、何でもその笛の先生に惚れてしまい笛を練習し始めたとのこと。そしてその村では一人前に笛が吹けなければ認めて貰えないので、必死になって練習したそうだ。そして彼女の家の近くで笛を吹き、ようやく親父さんからも認めて貰えたらしい。どこかのテレビのような話だけど、実際笛は上手い。笛を吹き終わった後は、雑魚寝の中国人からも拍手が起きたほどだ。愛の力はすごい。 2日目の夜、消灯の後船内の時間が中国時間(−1時間)となった。でも、これを何故か勘違いして+1時間としてしまい、翌朝07:30に起きたつもりがどうも05:30だったようで皆まだ寝ていた。 それにしても揺れが酷い。 京都で飲みすぎの為の二日酔いと寝不足に加え、揺れが直撃し顔など二倍ぐらいに膨らんでいる。本当は可愛い中国人乗務員とか帰国の中国小姐とかと話したかったのだが(一応中国語学習経験あり)、この顔では無理だろう。 食事も貧乏だった為毎回カップラーメン。最初は美味しかったのだが、2日目になるとさすがに飽きてくる。朝食についてきた米(おかゆ)にも、頭がふらふらしていたので醤油と間違ってギョーザのたれをかけてしまうなどクラクラであった。。ダメもとで交換を懇願しに行き、哀れに思ったのか快く替えてくれて良かったのだが、空腹の中、危うく貴重な米を無駄にするところだった。
何度もこの国際船乗っている人の話では、「今回は吐く程の激しい揺れではないが、丁度そのラインぎりぎりの揺れが長く続いているので逆に辛い」、と話していた。 3日目の午後になると、海の色が茶色くなってきた。中国が近づいている証拠だ。次第に中国籍の船が多く見られるようになり、やがて上海空港が現れた。 15:00、世界一の高いビルや写真で何度も見たことのあるTV塔が姿を現した。ようやく上海に到着だ。
出国手続きを終え、ドミで一緒だった人達とタクシーで宿へ向かう。上海経験者が結構たくさん居たので、こういう時は有難い。4,5人も集まれば誰かが指揮を執り始めるので、それに従っていれば良い。この先自分でどうにかしなきゃならない場面は幾らでもあるので、楽できる時は楽をした方がいい。 という訳で、何もしないのに宿まで連れて来て貰えた。楽ちん。宿は狭いドミだったが、上海をいう場所を考えると十分だろう。無料インターネットも嬉しい。 上海は思ったより落ち着いた街であった。 外灘付近しか行っていないので分からないが、近代建物と租界時代の古い建物が非常に上手く混ざっている。重厚な石の壁やどっしりとした造りの建物はやはり中国ではない。でも良く見ると、そこにしっかりと中国人の生活が入り込んでいて実に興味深い。街歩きの面白い場所である。
時計を見ると夕方近くになっていたが、中国元がほとんどないので両替に行く。幸い外灘にある銀行が1つだけ開いていて両替が可能だった。まだ明るかったので、次の目的地である成都への列車の切符を買いに出かける。 大都市の良いところは、初めてでも時間が悪くても公共交通機関が発達しており、気軽に出掛けられるところである。上海駅までも地下鉄のみで行くことができる。混雑はしていたが、無事到着。 翌日の成都行きが取れれば買うつもりでいたが、まず空いていないだろうと思っていた。でも、あっけなく購入できた。昔と違って寝台とか取りやすくなったのか?それとも上海だからかな。 さて、これで明日上海を発つ。時間があれば行きたかった蘇州行きはなくなった。 宿に戻るとお腹が空いてきた。メシだ。近くの食堂に入る。米が食べたかったので、麻婆豆腐飯を注文。6元(約80円)と非常に安くて心配だったが、めちゃくちゃ美味くて驚いた。船内での麺生活と船酔いを快方させるには十分だった。辛くもないし満足。
暗くなって来てからは再び外灘に出かけた。 涼しい風を求めて多くの中国人で賑わっていた。家族連れやカップル、露天や写真屋など市民の憩いの場にもなっているらしい。 それも理解できる。川越しに上海を象徴する近代的な建物が川面を美しく彩りながら並び立ち、すぐ傍には重厚な歴史をまとった租界時代の建物がこれまた見事にライトアップされている。 あまりいい撮影ポイントが見つからず、納得できる写真が撮れなかったのが残念だが、色んな意味で上海を感じることのできる場所には間違いない。
翌朝、再び昨夜の食堂でモチのような食べ物と、焼き小龍包を食べる。これもいける。上海は何を食べてもおいしい。食がおいしいのは旅の楽しみのひとつなので、正直もう少しここにいても良かったと思ったが、今日の昼にはここを出なければならない。複雑な気持ちだが仕方がない。 地下鉄を乗り継ぎ、上海駅に到着。 大きい。そしてここにはやはりこれまで見て来た中国の列車駅のように、何をしているのか分からないたくさんの中国人で溢れかえっていた。こういう光景を見ると少し安心する。 14:45、定刻に列車が出る。中国の寝台(硬臥)は学生時代ぶりとなる。最初は気付かなかったのだが、大きく変わっていた点が2つある。 1つは寝台の各エリアにテレビが付いたこと。チャンネル権はないので好きな番組は見られないが、退屈な列車旅の暇つぶし程度にはなるかもしれない。 もう1つは車内のゴミの量が大幅に減ったこと。これには本当に驚いた。すこし中国人を観察していたのだが、ほとんどの中国人が車内で何かを食べた後のゴミを、ちゃんとゴミ箱へ捨てていた。時代の流れというか、強いカルチャーショックを受けた。昔なら食べてそのまま、その場にゴミを捨てるのが当たり前だったのに、若い人だけでなく中年以上の人までゴミをちゃんと捨てている。良い事なのだが、何だか不思議と複雑な気持になった。
列車の中では意外なほど良く眠れた。 上海の宿でも、まだ船酔いが続いているような感じがして熟睡はできなかったのだが、列車の心地よい揺れのお陰かぐっすり眠ることができた。 一日中寝ていた為か、成都までの2泊3日の列車旅は意外に短く感じた。 朝の06:45に成都駅に到着。昨日の時点で30分以上の遅れが出ていたのに、到着して見ると予定より5分だけの遅れ。一体どうなっているんだ? 1年ぶりの成都。また来てしまった。。というのがホントの所だ。 朝07:00の成都はまだ暗かった。 データ:
2.四川再び。そしてラサ断念へ Homeにもどる |