12.2つの石窟、旅の終わりも海より
韓国人坊さんグループは余り英語ができないようで、自分についてくる。とりあえず宿を決めようと何件か見るが余りぱっとしない。韓国人グループは、これまたしつこく付いて来たインド人のタクシーチャーターの提案を訳したら、妙に乗り気でエローラ/アジャンター観光現地ドロップを1800ルピーで手を打ってしまった。自分的にはちょっと高いと思っていたが、随分喜んでいたので、そのまま握手をして別れた。 宿を決め少し休んで、街の中心地にあるセントラルバススタンドへ行く。 少し早かったがアジャンター行きのバスを予約しようと思って出かけた。が、降りてすぐにアジャンター行きのジープが見つかった。すぐ出発するとの事だったので、それで手を打つ。 まだ06:00前だったので薄暗く、車内に入ってくる風も冷たい。ここはムンバイよりは涼しいようだ。それにしても車内はぎゅうぎゅう詰め。これでもかと言うほどに詰め込む。しかも街(村)ごとに停まって新しい客を探すので時間も掛かる。停車時間だけで、合わせれば1時間は越えているように思う。尚、道だけは素晴らしくいい。日本のODAが入っているようだが、これがなければアジャンターの日帰りは無理だろう。
と言っても入口からアジャンタ石窟まではまだ4kmもあるそうで、ここからは低公害のバスに乗って移動しなければならない。 バスに乗って5分、ようやく石窟の入口に到着。ちなみに、今週は世界遺産週間なので入場料は払わなくていいと思っていたが、それは昨日1日だけで今日は払わなければならないらしい。何て事だ。。今日はぬか喜びだ。。 階段を上り、ようやく石窟が見えてくる。作りとしては四川省の大足に似ているなあ、という印象を持った。しかし、中身は全然違うものだった。 岩肌に穴を掘り、広間のような空間を作る。そしてそこの壁や天井に、埋め尽くさんばかりの仏教画が描かれているのだ。保たれてあるのを見る限り、その絵は本当に美しく見事である。そして部屋の一番奥には大きな石の仏様が置かれてある。置かれて、と言うよりはこれも石を削ったものであろう。数メートルもある巨大な物もある。 また、僧院も兼ねており、広間から続く小さな扉をたくさん見ることができる。そこはたたみ2畳ぐらいの個室となっており、仏様か自分の持ち物を置くのか分からないが、室内には小さな穴があるだけの簡易なものである。静寂の中、何の妨げもないこの空間で一心不乱に修行をしていたのだろうか。実に見事なものである。
窟の中は壮厳※で、中に足を踏み入れた瞬間にその雰囲気に圧倒される事もある。時々、鳥肌が立ってしまう程のものもある。 最後の26窟では、インド最大の涅槃仏があり、「降魔成道」の浮き彫りがある。これは菩提樹の下で悟りを開こうとする仏陀を、悪魔や魔王の娘らが誘惑しようとしている場面だ。まだ仏像や仏画なかった時代の信仰の象徴だったストゥーパも、その仏像を装飾としてつけた物があるなどなど、見応えあるものとなっている。
仏教画が有名なアジャンター石窟だが、置かれている仏像もまた素晴らしい。 ただ、涼しいとされる時期に来たのだが、それでもかなり暑かった。水は必須である。また、窟に入る毎に靴を脱がなければならないので、サンダルのような物の方が便利だったかもしれない。 朝食を終え、再びバススタンドへ行く。今日はもうひとつの観光の目玉、エローラ遺跡に行く。 バススタンドは、英語表記もチケット売り場もまったく分からないのだが、「エローラ」を連発していれば簡単にバスを見つけることができる。09:00出発で、20ルピー。いつもながら多くのインド人が詰め込まれている。 45分ほどで到着し、早速入場する。 エローラ遺跡は7世紀頃から岩肌に彫られて来た遺跡群で、初期は仏教、その後はヒンドゥー教、そして最後にジャイナ教と3つの宗教が、お互いを破壊することなく同居している珍しい遺跡群である。中でもヒンドゥー教寺院である第16窟のカイラーサナータ寺院はその大きさで特に有名だ。 入場すると早速その第16窟が見えてきたが、観光は第1窟からと決めている。 1〜12窟は仏教石窟である。1〜4窟は昨日のアジャンター同様、岩をくりぬいた広間に仏様、そして僧院などが並ぶ。違いは仏画がないぐらいだろうか。しかしその代わりに見事な石仏がある。
第2窟では見事な仏様が並び、第5窟では大きな広間がある。これは仏教の講堂として使われていたそうだ。ここでどのような講義がされていたのだろうか。仏教石窟の面白いところは、そこで生活感を感じられるところだろう。 第10窟はストゥーパ(仏塔)を彫ったもの、アジャンターにもあったがこちらの方が素晴らしい。高い天井に、壁や柱に施された仏の彫刻、仏像の座した仏塔など芸術性も高い。天井に施された装飾が見る者を不思議な感覚にし、あたかも異空間にでもいるような錯覚に陥る。 そして第12窟。まるでアパートのような造りの窟だ。これも全て手作業で岩をくりぬいて作っていると言うのだから、本当に気の遠くなる作業だ。3階建て。暑い中、必死に階段を上がる。3階まで来て驚いた。そこには本当に見事としか言いようのない仏様がたくさん彫られていた。鳥肌が立った。昔、仏教がこの地で興り、そして繁栄して輝いた時期が本当にあった事を感じることのできる大変貴重で、素晴らしい遺跡なんだと改めて思った。
13〜29窟まではヒンドゥー教の石窟となる。違いは簡単。仏様ばかり仏教に比べ、ヒンドゥー教はそれはそれはたくさんの神様が彫られている。男神もあれば女神もあり、象の神様もあれば他の動物の神様もあり、ポーズも立ったものから座したもの、踊ったもの、飛んだものと様々だ。神聖な気持ちになる仏教窟とは別に、ヒンドゥー教は楽しくなってくるものが多い。 そして仏教窟の奥には仏様が置かれているが、ヒンドゥー教のそれはシヴァ神であり、その象徴のリンガ(男根)が置かれている。 そしていよいよ第16窟、カイラーサナータ寺院に向う。 でかい。。これまでの物とは高さも奥行きも違いすぎる。まずは全体を把握する為、脇にある階段を登る。 頂上からの風景はそれは見事であった。遥か先に広がるデカン高原の地平線と、そしてこの壮大な寺院が不思議と良く合う。長い時間観光していると時々忘れてしまうのだが、これはひとつの岩山を手で削って造り上げたもの。少し常識から外れているので思わず忘れてしまう。
下に降り、寺院に入る。入って見て気がつくのだが、やはり建物と床は一体化している。当たり前なのだが。。 しかし、しかし本当にすごい。もう馬鹿げているレベルだ。昔のインド人というのは偉い。でも、馬鹿げている人は好きだ。タージマハルも大好き。
ここまできて空腹に気付いた。時計を見ると13:00を過ぎている。何と既に3時間以上も時間が経っている。まだ半分以上あるし、一度休憩がてら昼食とした。 第17窟からは少し離れているので早足で向う。 この辺りからは余り保存状態も良くないようで、それに合わせて人数も減ってくる。その中で良かったのが第21窟。保存状態も良く、数も多い。男女の像(シヴァ?)などの睦まじい彫刻などは、思わず見とれてしまうほどだ。 更に幾つかの保存状態の悪い石窟を過ぎ、第29窟、広い空間に出る。柱の彫刻が素晴らしく、そして全体にここの像は大きく感じる。 30〜34窟はジャイナ教の石窟となる。 少し離れているのでオートリキシャに乗る。見どころは32窟だそうだが、いまいちよくヒンドゥー教のものとの違いが分からない。気が付いた違いといえば、柱に施されて装飾が見事なのと、仏陀らしき像を多く見かけること。昨日の降魔成道らしき彫刻もあった。僧院がないので崇拝の対象だけのようだが、正直よく分からない。
15:00過ぎ、ようやくエローラ遺跡の観光を終えた。5時間にわたる大観光であった。もうヘロヘロである。 翌日はエローラ遺跡の通り道にあるダウラターバードという場所に、砦を見に出かけた。 1187年にヤーダヴァ朝の首都として築かれたのが始まりだと言うが、インド国内でも有数の美しい砦で有名との事だ。 アウランガーバード市内からは10分で到着した。食堂で果物ジュースを飲み、入場。岩山をひとつを丸々砦にした面白い場所で、意外に白人観光客もよく目に付く。一部材木も残っているが、ほぼ全てが石材。堅固な門に城壁、曲がりくねった道などは日本の城にと良く似ている。特にお堀らしきものがあるのには驚いた。どの時代、どの国においても考える事は同じである。
しかし、残念ながら保存状態は悪い。特に上に上がれば上がるほど悪くなる。ボロボロに壊れたままの壁や、雑草が生え放題の庭園など少し残念な気がする。とはいえ、手入れが入りすぎの遺跡もこれまたつまらないので、難しいところなのだが。ただし、建物への落書きが酷く、これには興醒めだった。 途中真っ暗な階段(こうもり大量)を抜け、30分ほどで頂に到着した。ここからのデカン高原の眺めはなかなかで、ほぼ360度の眺望を楽しめる。登りは暑かったが、頂は風もあり涼しく、景色を眺めならが休むにはちょうどいい場所だ。 1時間ほど景色を堪能し、宿に戻る。随分と久しぶりにズボンを洗濯する。あまりの汚れに、水が真っ茶になってしまい驚く。 日程の都合上、もう少しここアウランガーバードに居なければならない。だんだん見学する場所がなくなってきた。 翌日はビービー・カ・マクバラーという遺跡を見に出かけることにした。一度では覚えきれない名前だが、その姿はきっと見覚えがあるものであろう。 アウラングゼーブ帝の后ベグムの廟であり、その姿はタージマハルをモデルにして設計されている。
タージマハルを訪れた事のある人ならその違いが分かるだろう。全体にスケールが小さい。良く似ているが小さい。実際、タージマハルほどの財をつぎ込めなかったそうだが、個人的にはこじんまりしていて好きかもしれない。本家よりは質素な感じもするが、実際見てみると中々堂々としていて美しい建物である。 ただ、近くで見てみると石の上に漆喰を塗っただけの壁も多くて、それが剥げてしまった場所もあり、劣化の遅い大理石だけで作られたタージマハルには敵わない。何せあちらは花の模様を描くのに、それぞれ違う色の大理石を削って作っているほどだ。同じな訳がない。
しばらくぼーっと建物と、周りの景色と、訪れるインド人観光客を眺めて時間を過ごす。インドの小学生の遠足らしいグループがやってきて、写真を撮ったりして過ごしたりした。今日の夜、ムンバイに向けて夜行バスに乗る。 やっぱりインドバスは疲れる。デラックスバスと聞いていたのだが、まあそれは酷いものでローカルバスに毛が生えた程度。それでも4年前に乗ったインドの夜行バスよりは随分よかったので、ウトウトとだが眠ることもできた。
タクシーを拾いおやじに、 「マリーンドライブまで。海が見たくてね」 などと言う自分が、まるで映画の1シーンのようで自身笑えて来たのだが、おやじが英語を良く理解できなかったようで「シービューホテルか?」等と聞き返してきた。感傷も吹き飛ぶ。とりあえず海に向う。 マリーンドライブとは、ムンバイ・フォード地区にある海岸沿いの道路の事である。浜などはないが、木々が植えられ市民の散歩のコースになっている。今回は海から始めた旅、どうしても最後も海を見て終わりたかった。 マリーンドライブに到着。いよいよ旅も終わろうとして気分も感傷的になっているのに、おやじが「60ルピーだ」などと言う。この間近くまで来ていて値段は知っていたので、相当額を渡しタクシーを降りる。 朝のマリーンドライブはジョギングをする人や、座って話をする人などで賑わっている。ムンバイの海はそれ程綺麗ではないが、これで終わりなんだと思うと本当に早かったと思う。そしてこの海の向こうには中東、そしてまだ見ぬアフリカ大陸が広がっている。これは旅の終わりではなく、新たな始まりでもある。 それは決して中東やアフリカだけでなく、これからも続く長い人生の旅の始まり。旅に終わりはない。
データ:
追伸: 自分がムンバイを出たのが2008年11月24日深夜。日付にしてその2日後に、ムンバイで同時多発テロが起こりました。 タージマハルホテルやその周辺の外国人用レストラン、そして宿の近くにあった旧ビクトリア・ターミナス駅でも爆発がありました。貴重な遺跡を破壊することはもちろん、無差別に人々殺すテロに恐怖と共に怒りを感じました。 そして、バンコクに戻った25日の夜にスワンナプーム国際空港がデモ隊によって占領、使用不能となりました。幸運にもその数時間前に空港を離れ、宿泊したカオサンでその事件を知ったのですが、空港を離れる際たくさんの車が空港に向っており、そのときは変だなあと思っていました。 ムンバイでは当初の出国予定では28日だったので、急用でフライトを変更していなければあのままインドに閉じ込められていたことになります。バンコク空港でもあと数時間出るのが遅れれば、空港に閉じ込められていた事になります。すれすれの幸運を喜んだのもそうですが、自分の主張を力で押し付けるこのような行為を本当に残念に思います。 力の乱用では何も解決しません。それどころか逆に負の連鎖として、更なる怒り・恨みを増やしてしまいます。 「力」ではなく、「思いやり」を。 僕らのような世界を旅しているバックパッカーはもちろん、そこに住む人々が本当に安心して暮らせる世の中になるよう、切に願います。
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