1.出発前夜はバンコク、そして歩いて峨眉山に登ろう 行く先は四川。実は留学時代に一度訪れている場所だが、思いがあって再訪となった。その理由は2つ。1つは留学時代から名を轟かせていた「九寨溝」に行きたかったこと。もう1つはタイから近く、安かったことである。 中国出発前夜はタイ・カオサンに宿泊した。 実はバンコクには2年ほど住んでいたのだが、カオサンに泊まるのは初めてである。カオサンはバックパッカーの聖地と呼ばれるような場所だが、交通が不便なことや雰囲気が好きでないこともあり、通常バンコクでの宿泊は別の場所にしていた。 しかし、今回はいい機会だったのでカオサンに泊まってみることにした。
天候は曇り時々雨。スワンナプーム空港からカオサンまでは直通のバス(AE2)があり便利だが、料金が150Bに値上がっていた。 かなり久しぶりのカオサンである。雰囲気は以前のままだ。少し歩いてみる。数え切れないほどの白人旅行者や、英語の看板を掲げた多くの店。内装が分からないほどたくさん物を並べた店に、Tシャツを売る露天。耳からはどこの国か分からないような音楽が大音量で入り、若いタイ人カップルに交ざり時代錯誤のようなヒッピーもどきタイ人も見かける。相変わらず雰囲気は悪いようだ。 宿はドミトリーにした。日本人宿だったこともあり、多くの日本人パッカーがいる。昼過ぎになってもまだ寝ている奴がいるところなどは、安宿のドミトリーらしい。 バンコクでの所用を済ませた後、ドミで知り合った上海から来たという日本人と夕食を共にした。タイらしい食べ物を食べたいとのことだったので、近くの屋台でお約束通りトムヤククンを食べる。蒸し暑かったのでものすごい汗を2人してかいた。ビールがうまい。出発の酒としは十分である。 深夜になってもカオサンはいつまで経ってもうるさい。ネオンの途切れない場所である。
翌日、11時少し前にバンコクを飛び立った飛行機は、たくさんの中国人を乗せ15時に四川省の省都である成都に到着した。留学経験もあって、中国という国はすごく慣れ親しんだ国のひとつである。何年かぶりに降り立ったこの成都という街も、違和感なくその景色が目に入って来るのはやはりここが中国だからだろう。 宿は交通飯店。成都ではあまりにも有名な宿である。自身の安宿歴でもNo.1の宿だ。4人部屋ドミで30元(約450円)はやはり安い。
この交通飯店で一人のアメリカ人旅行者に出会った。一人で中国を旅していて、明日から峨眉山に登るらしい。出会った時、 「目が合った時、スマイルしたでしょ?あれは中国人じゃない証拠」 と、言われた。なるほど確かにそうかもしれない。
その後、翌日の峨眉山行きのチケットを買い、デーブと登山用の買出し(食料など)に出かけた。 それにしても成都は思っていたよりも都会だ。大きな高層ビルが立ち並び、数え切れないほどの車が走っている。歩いている中国人も皆お洒落だ。綺麗に整備された道路に、これまた手入れされた木々が植えられている。電動スクーターが多いせいか、空気も悪くない。クラクションは依然として多く交通マナーも悪いが、中国の成長は自分が考えているよりずっと早いのかもしれない。
連休中なのか早朝の成都はとても静かだ。 きれいな高速道路を走り、2時間後の9時に峨眉山に到着。と、思っていたのだが、実はここは峨眉山郊外とのこと。ここから峨眉山の麓にある報国寺というお寺にミニバスが出ているらしい(15元)。正直やられたと思った。そのまま乗っていれば恐らく峨眉山のバスターミナル等に着いたと思うのだが、「到着した」という言葉を信じて降りてしまった。 結局、近くを通った市バスを乗り継ぎ伏虎寺まで行ったのだが、このやり方にデーブも怒りをあらわにしていた。 登山は伏虎寺からの開始である。と言うよりは、2人ともあまり登山ルートを考えていなかったので、バスで下ろされた場所から登り始める事となった。 初め、入口がわからなく散々間違えた後、ようやく峨眉山のチケット売り場まで辿り着いた。
天気は透き通るような快晴。いよいよ登山が始まる。元気に登り始める。 1つ目の寺、雷音寺付近までは平坦な道が続いていたのだが、そこからは突然急な坂道となった。しばらくぼんやりこの急な階段を見つめていたのだが、周りの中国人もはあはあ言いながら登り始めてるので一緒に登る事にした。 その次の純陽殿に着く頃には息が上がり、すでにバテバテとなってしまった。「中国到着翌日に俺は一体何をしているんだ」、とどこか遠くで思っていたのだが、目の前にある階段がそんな事を忘れさせてくれた。それにデーブの陽気な性格のお陰で、一緒に登っている中国人とも楽しく登山をする事ができた。
純陽殿からは少し下りになり、神水閣、中峰寺、広福寺までは楽に歩く事ができた。 しかし、この広福寺から清音閣、一線天、黒龍江桟道、自然生態候区までは観光地のようですごく人が多くなり、歩くのすら辛い状態となった。 さらに一線天を越えた辺りからサルが出現し始め、それを見る為観光客が立ち止まり、身動きすら取れない状態となる。疲れと苛立ちでここで一気にペースが落ちた。
ようやく人の群れを通り過ぎ歩きやすくはなったのだが、ここからはすごい坂、そして階段のオンパレード。下りはほとんどなくひたすら登る。既に足は棒になり、トホ、トホといったスローペースで歩く。 16時、洪椿坪に到着。ここで登山者の名前を記入するポイントがある。記入しながら何気なく次の寺(仙峰寺)までの時間を聞いてみたら、 「3時間、15km」 と言う答えが返ってきた。「さ、3時間・・・、15km??」デーブと2人で唖然とする。何かの間違いじゃないのか??3時間歩いたら時刻は19時。もうこれ以上は歩けない。宿泊を予定していた洗象池はまだまだその先。しかも既に足は言う事を聞かず、息も上がってしまっている状態。思わず何度も聞き直してしまった。 とは言え、ここまで来てしまったものは仕方がない。前に進むしかない。出発した。
だけどその分、重い。本当に重い。休憩している間少し担がせてもらったのだが、持ち上げるだけで精一杯。10mも歩けないだろう。すれ違う中国人が皆驚いている。デーブの巨漢と、それと同じぐらい大きいバックに。そんなに若くはないのに、彼の体力には本当に驚かされた。 果てしない階段を登る。ひたすら登る。理由はない。目の前に階段があるから登る。そういえば以前も、どこかの島でこんな事を考えながら歩いた事がある。何も考えずに歩いた。 「1歩でも先に進めばそれだけゴールが近くなる」 懐かしい言葉を思い出した。 ちなみに水の消費量は半端じゃない。麓で1.5L入りの水を買っておいたのだが、それを含めた予備の水まで既に飲み干している。幸い、途中途中で飯屋などがあり水は購入できるのだが、大量に持ち歩く事もできないのでその都度割高の水を買わなければならない。成都市内で1元の水が、山の中では4~6元。しかし飲まない訳にも行かない。命の水である。 ただこの日幸運だったのは、素晴らしく晴れた空と、日没が20時近くだった事。かなり歩く事ができた。
もう形容の仕様がない程ボロボロになってようやく次の寺、仙峰寺に到着した。19時45分。3時間どころか4時間近く歩いた事になる。辺りは既に薄暗く、少し肌寒いぐらいになっていた。 寺に宿泊、との事なので大きな部屋にごろ寝ぐらいを覚悟していたのだが、意外にしっかりとした「宿泊施設」だった。 部屋の扉こそ古い門のような扉だが、室内にはベッドが置かれ電気敷きマットまである。そして熱いシャワー(共同)も浴びる事ができた。これには本当に体が癒された。寺自体も年代物で、木の造りがアンティークでいい。ここに泊まるのだと思うと、一瞬疲れを忘れる事ができた。 部屋の種類はホテル並みにシングルやツイン、ドミトリーまである。デーブの希望でツイン(80元/一人)に宿泊する事にした。
ちなみに後で知ったのだが、この日一日だけで約31km山道を歩いていた。この時知っていたら力が抜けていただろう。。 気温は10度ぐらいだろうか、布団だけなら寒かっただろうが、電気敷きマットのお陰で快適に眠る事ができた。 予定通り5時起床。と言っても、朝5時からお寺の鐘が100回以上鳴り、続いてガンガン太鼓を叩き始めた。あれでは眠れないだろう。お寺だから仕方がないが。。 出発は6時。まだ薄暗い中、デーブと一緒に山道を歩き始める。本当は今日の朝焼けを山頂で見るつもりでいたのだが、デーブも自分もほとんど無計画で峨眉山に来て、そしてこの山をかなり侮っていた。ここから山頂までまだ約5~6時間も歩く必要があり、朝焼けを山頂で見るには夜の12時には出発をしなければならない。無理。寝ずに歩くのは無理な話。しかも山道。残念だが仕方がない。 仙峰寺からはしばらくなだらかな下り坂が続く。少し足が痛かったが、涼しい朝の森、鳥の鳴き声が心地よくて自然と足が進んだ。・・などと思っていたらすぐに急な上り坂に変わった。やはり今日も容赦はないようだ。案の定、昨日の疲れが回復しておらず、坂を上り始めてすぐにヘロヘロになってしまった。再び昨日の悪夢。トボトボと歩く。
7時30分、今日1つ目の寺である遇仙寺に到着。この辺りまで来ると、結構標高が高くなっている事に気付く。景色もそれなりに良くなってきて、山を登っているという実感が沸いてくる。 もちろんこの先も見上げるような登り階段。まるで人を拒むような急な階段が続く。周りには少なからず中国人登山者がいたのだが、こんなに重そうなバックパックを背負っているのは何故か自分達二人だけで、彼らは皆軽装である。当然か弱い女の子にも抜かれてゆく。まあいいんだけど。
それにしても巨漢で白人のデーブと一緒に居るので、中国人の反応が驚くほど違う。中国人が皆とてもフレンドリーなのだ。中には怖がっている中国人すらいるほど。日本人一人だったら見ることのできない中国人の対応だ。ちなみに自分は付き添いの中国人と間違われているようだった。 9時20分、洗象池に到着。ここも寺。眺めがいい。でも素通り。
しかしまあ、よくこれだけの石の階段を作ったものだ。一体何十キロあるのだろうか。ほぼ全て石の坂である。険しい山道ではないので登るのは容易だが、足の負担がすごく大きい。しかも普段ならこれだけ歩くと足が麻痺するのだが、今回はしない。つまり痛みを感じながら、姿さえ見えない山頂を目指して己との戦いが続く。だんだん修行僧のような気分になってきた。
車で来る事ができる雷同坪、そして山頂(金頂)までのケーブルカーがある接引殿まで来ると、たくさんの人で賑わっていた。 お土産を売る露天やコートを貸し出す店など今までの静寂が嘘のように賑やかである。少し引いてしまったのは事実。 ここの標高が約2500m。と言う事はあと500m登らなければならない。徒歩で約2時間。デーブと共にケーブルカーの魔の誘いに耐えつつ、金頂につながる最後の階段に挑む。
たくさんの下り客とすれ違いながら、峨眉山が最後の試練を我々に与えるかのような階段を上る。1歩1歩進む。ヘロヘロだが醜態など気にする余裕はない。 そして14時50分。金ぴかの仏像が迎えてくれた。金頂への到着である。
今日も9時間。本当によく歩いた。山頂の風が心地良い。美しき十方普賢に目も痛い。景色もすごい。広くて高い。ここまで歩いてきたと思うと本当に感慨深い。残念ながら雲海は既になかったが、そればかりは仕方がない。デーブと一緒に記念写真。大切な一枚になった。 ちなみにデーブは今日中に成都に帰るとの事だが、自分はここに残る事にした。自分の目的は峨眉山の雲海を見ること。このまま帰る訳には行かない。そうデーブに告げると、「了解」という意味の笑顔を返してくれた。 握手、抱擁、お互いの肩を叩き合いながら苦労をねぎらい、これからの旅の安全を祈りデーブと分かれた。
しかし、山頂のバカ高いホテルに宿泊しながら、翌日は霧に見舞われほとんど景色を見ることができなかった。 更に中国人のマナーの悪さ。ほとほと嫌になってしまった。峨眉山の上から皆して唾を吐きまくるは、記念写真を撮る為に立っている自分を「おい!」と言って押しのけるは、禁煙地帯なのにタバコを吸って捨てるなどなど。世界遺産の為、清掃員がこまめに掃除をしてゴミこそ少ないが、すごく嫌な気持ちになる。 神聖な峨眉山に苦労して登った昔の詩人や僧達は、今のこの唾の吐き捨てられた山頂を見てどう思うのだろうか。悲しくなった。
帰りはバスで下山。苦労して登ったのが嘘のように1時間半程度で麓に着いてしまった。2日間で約58.5km、18時間に及ぶ予想以上に大変な山登りであった。でも、時間があれば再び峨眉山を訪れ雲海を見たいと思う。もちろんバスで。
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