6.古き街「ロウ中」と、再びパンダ基地 仏教徒ではないのだが、知らない間に仏像が好きになっていた。仏様の顔、それは決して有名な仏様でなくてもいいのだが、それを見ているととても穏やかな気持ちになる。なんとも言えぬ表情である。痛みも、苦しみも、悲しみも、そして幸せもすべて知っているような顔。仏様の前で手を合わせているだけで、身が清められる気がする。自然と優しい気持ちになれる。そんな訳で、柄にも合わず損得を考えない善行を行いたいと思う事がしばしある。難しいのだが。特に旅行中などは「我々は外国人。この国にお邪魔させて貰っているのだ」と思って旅をしている。感謝と謙虚の気持ちを忘れないように。仏様の顔を見た後は特にそう思ってしまう。行うのは難しいのだが。 そんな素晴らしき仏様達を大足・安岳で満喫した後、今度は清代、明代の街並みを残す街、 安岳からは南充を経由して行く。直通はないようだった。8時30分に安岳を出発したバスは、たくさんの中国人を乗せ南充に向けて順調に走る。外からの風が気持ちいい。やがて3時間後の11時半には無事南充に到着したのだが、途中トイレ休憩で1回目覚めただけで、それ以外ずっと眠り続けていた。気持ち良いバス移動であった。
仕方がないので鉄道駅を目指して、近くを走っていた3番のバスに乗る。このバスは南充の中心を走っているようで、街中の風景を眺める事ができた。なかなかのものだった。マクドナルドもあるし、ブランド品の入ったそれなりのデパートもある。まずまず大きな街のようだ。安岳とは違う。 鉄道駅近くにある城北バスターミナルへ。 ところが走り出して1時間、突然バスが止まった。しばらくして異様な音を出していたエンジンも止まる。やがて完全に故障になったようで、乗客が我先にとバスを降り出した。やれやれ。そして後からやって来たバスに、またもや我先にと皆乗り出す。そして15時30分、2時間半掛けて何とか 中国中部を東西に貫く秦嶺山脈という山脈がある。この山脈より流れ出た嘉陵江の流れは、ここ
ちなみに安岳でもそうだったが、現地の人にその街の観光について質問してもまったく適切な回答が返って来ない。ここの宿のお姉ちゃんも外国人に慣れていない為か、幾つか質問したがよく分からない事を言われて終わってしまった。 仕方ないので地図を見ると南方に「 30分後、古城地区に入る。車の進入は禁止されているようで静かである。 確かに古い街並みである。今にも崩れそうな瓦や、くすんだ壁の色がその古さを物語っている。でも、人通りが激しい地区は、古い民家に不似合いな土産物屋や商店になっており、派手な看板、旗なども目立つ。完全に現代の中国の生活である。生活まで清明代を期待していたのはやはり間違いだろう。 しかしながら、 そのまま華光楼へ。3階建てからなる古楼である。入場料を払い、古い木の階段を上り始める。すぐに四合院の建物が目に入って来た。悪くない。そして2階、3階と足を進めると、それが美しい瓦の群れとなった。なかなかの眺めである。すぐ隣を流れる嘉陵江、そして対岸にある山とのコントラストがいい。 最上階である3階に座り外を眺める。聞こえてくるのは鳥の声、船の音、そして中国人の生活をする音。鼻からは微かに香辛料の香りがし、開放された扉からは涼しい風が入ってくる。 静かなこの場所に座っていると、本当に清明時代にいるような気がしてきた。張飛もこうして静かな街並みを眺めていたのだろうか。
しばらくすると中国人の団体が上がってきたので、再び街の散策へ戻る。張飛廟周辺までやってきた。さすがにここまで来ると人通りが激しい。先ほどの華光楼とは共通の入場券となっているので、そのまま入場。中は大した事はない。三国志好きの自分が来ても面白いとは思えなかった。粗末な等身大の人形がたくさん置かれ、展示室もまったく手入れされていない。張飛ファン以外は期待しない方がいい。
最後に「川北貢院」へ。ここの方がまだましである。科挙の為の学校だったのだろうか。教室や書道の道具など、それらしき跡がたくさん残っている。静かな場所でいい。 再び街中へ。やはり 時々、古い家財道具を店先に並べている光景を目にする。恐らく商品なのだろう。清明代のものか。味があっていい。ちょっと欲しくなる。でも高いんだろうな。 成都に戻ってきた。幸い それにしても交通飯店に帰ってくると、まるで自分の部屋に戻ってきたかの気分になる。それぐらい居心地が良いし、ゆっくりと休める。 さて、本当はこれから雲海撮影のリベンジの為に再び峨眉山に行こうかと思ったのだが、中国元が足らない。軽く計算しても400元位は掛かる。残り200元。しかも既に16時過ぎ。諦める事にした。
8時30分のバスに乗る。途中、照覚寺バスターミナルに寄り10時には到着した。入場料を払い中に入ってみると、結構綺麗に整備された公園のようであった。 三星堆遺跡とは、1986年四川省の考古学者が広漢にて青銅器をたくさん使ったこの遺跡を発見したことに始まる。当時の様子が書かれた文章がまったく見つからない為詳しい事は分かっていないが、3250年程前の遺跡とのこと。全て仮説なのだが、山東省にある古代文化が流れてきたとの説などがある。 何よりその特徴は驚くような異形であったこと。目の飛び出た仮面や、2m以上もある人の像、大きな青銅の樹など様々。仮説では色々な儀式や、他部族を支配する為の権力の誇示の為など様々あるが、はっきりとした事は分かっていない。 博物館は1号館と2号館に分かれている。1号館は三星堆の解説や青銅の樹の展示、2号館では青銅の仮面などを見ることができる。 1号館にある青銅の樹は、通常「神木」と呼ばれている。身の丈よりも高い青銅の樹。近くで見ると細かな細工が青銅である事を忘れさせてくれるようだ。 2号館の方がメインになるかもしれない。シンボルにもなっている目玉の飛び出た仮面や、2.6mもある大きな人物像など本当に変わった青銅器文化を見ることができる。時間があれば行ってみるのもいいかもしれない。 午後からは成都北にある成都パンダ基地(正式名:成都パンダ繁育研究基地)に行く事にした。時間があったのと、臥龍で見たパンダが意外に可愛かったからである。便利な事に交通飯店から観光用市内バス1本で行ける。 入場料は30元。夕方近くになっていたので、人はまばらだ。しかしここでもまた入口からパンダのいる場所まで随分と距離があり、電動バスが走っている。10元。このパンダ基地は山に作られていてパンダの為広大なのは分かるが、金がなかったので歩く。 残念ながら夕方になっていたので、あまりパンダの姿は見られなかった。人が集まっている所に、辛うじて4頭ほどパンダがいたのみ。それでもやはり可愛いものだ。またひたすら食べている。臥龍のような激しい動きはなかったが、それでも周りの人々はみな大喜びである。
宿に戻って中国最後の食事に出かける。もちろん冷えたビールを注文。暑くなってきた成都の夜、ほろ酔いのビールが体にしみる。
やがて中国は今以上に変わって行くだろう。旅行だけとって見ても、留学時代は大理までの列車すら走っていなかったのだが、今はラサまで電車で行ける。移動で乗ったバスも以前の中国では想像もつかないほど良くなっている。これからも旅はぐっと楽になってゆくはずだ。 しかし、それに伴い治安の悪化や、社会的不安などの混乱も出てくる。正に中国は激流の時代。この国はこれからもっと多くの色々な不条理に直面してゆくことだろう。そんな時、この国の人達に大足や安岳で会ったような仏様の顔を、1人でも多くの人に見て貰えればと思う。何をしろとは言わない、見るだけでいい。そして、そこに少しでも優しい気持ちを感じてもらえればそれで十分だ。 今回の旅で何人かの若い中国人と出会った。日本人である自分に対しても自然に、そしてとても親切にしてもらった。一緒に食事などをした事もあったが、また違った意味でも彼らのような若い人達と、共に食事できる日を楽しみにしたい。
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