貴重な休みなのでじっくり時間を使いたい。とは言えホーチミンにはそれほど観光名所はないので、街の散策がメインになりそうだ。半日でクチトンネルも行けそうなので、これにも参加することにした。 仕事の合間を縫って予約しておいたクチトンネルツアーに参加する為、ホテルを午前6時過ぎに出る。前日飲み過ぎてまだ体がふわふわする。予約したのはベトナムでも大手のシンカフェ。前回の旅行でベトナムの現地ツアーは質が高いのを知っていたので、安心して参加した。 旅行者が集まるデタム通りに7時過ぎに到着。これまでの仕事とは違って、ここは旅行者(バックパッカー)の香りがする。初めてなんだが、何だかいつもの場所に戻って来たようで嬉しい。 シンカフェの前には、既に大勢の旅行者で溢れている。本当にたくさん居て、まさに溢れているという表現がよく合う。さすが人気会社だ。 中に入り予約番号を告げ、別のカウンターでツアー料金を払う。領収書を貰い、出発15分前にバウチャーに交換するらしい。完全なコンピューター管理で、手際も良い。店内に無料インターネット等があるのも嬉しい。
さて、無事手続きが済むと、お腹が減って来た。時間はまだ30分ぐらいあるので、早速何か探しに外を歩くことにした。 色々な旗や色とりどりの看板、白人パッカーにツアーバス。ここには英語も溢れている。久し振りにパッカーに戻れて、嬉しくて仕様がない。今日の予定はすべて自分の思うままに行動できる。すべて自分で考える。何をしてもいい。何を食べてもいい。何時でもいい。これって、凄く贅沢なことなんだと、今更ながら思った。 デタム通りから少し外れた先にある路地で屋台を発見。見ていると乾麺を指さして「フライド」と言っているので、値段だけ確認して注文した。出された麺はインスタントラーメンを野菜などと炒めたもので、タイでもよく食べていたものだ。お腹が空いていたので、非常に美味しかった。
しばらく散歩をしてシンカフェに戻る。7時45分からバウチャーを貰い、8時ちょうどにバスが出発。東南アジアでこれだけきっちり時間を守るのも珍しい。 隣になったのはシンガポールでエンジニアをしている旅行者だった。こちらに叔母がいるそうで、そこに泊っているらしい。日本の仙台にも行ったことがあるそうで、シンガポールも日本も何でも高いと言っていた。ちょっと二日酔い気味だったので、あまり長くは話さなかったが、いい奴だった。 ガイドはクチトンネルの歴史など1時間ほど喋り続けていたが、6割程度は理解できた。中国人観光客がいないことを確認してからの中国製品のけなし方は半端ではなかった。みんな大笑い。 1時間ほどで民芸店に着く。最初に石を削ったり、卵の殻を砕いて絵にしたりする作業を見せられた。まあ、たかだか135,000ドン(約500円)程度の安いツアーなので、こういった店に寄るのは仕方がない。ここからマージンを貰っているはずだから。 商品も色々見たが、まだ頭がくらくらするのであまりしっかりと見ることができなかった。まあどちらにしろ買わないけどね。
午前10過ぎ、ようやくクチトンネルに到着。何だか疲れた。 ガイドがチケットを買ってから、ガイドの旗について皆で移動。大型バス満席だから、40人ぐらい入るのだろうか。大人数である。大きなトンネルをくぐって(暗い所はくらくらする・・・)、山の中に入っていく。 ベトナム戦争時代、最後までアメリカ兵に徹底抗戦したのがここベトナムの人々。ベトコンだ。ジャングルに逃げ込むベトナム人と闘う為にアメリカが取った作戦が、枯葉剤や爆撃等で木々をすべてなくすことであった。そこでベトナム人が取った作戦が、このトンネルである。全長250kmというとてつもない長さのトンネルは、結局最後までアメリカ軍にも落とすことができなかったという。言わば歴史の負の遺産である。 山の中に入っていくと、すぐにガイドがある場所に立ってある物を探し始めた。 トンネルの入り口である。入り口は小さなもので、人ひとりがやっと入れる程度だ。木の蓋で閉じられており、上から葉を載せると全く分からない。ガイドの説明ではこのような入口が無数にあるという。すごいものだ。
その後もガイドについて歩き、色々なトンネルの説明を受ける。 例えば炊事の時にあまり煙を出すと地上から見つかってしまうので分散させて出していたとか、いつも小さなカバンをつけてそこの食糧やライトを入れて移動していたなど詳しく説明してくれた。 強烈だったのが、罠である。 アメリカ兵が落ちる落とし穴で、中に鉄槍が立っているものや、釘が付いた球体を投げ込むものや足を入れたら返しが付いていて抜け出せなくなるものなど、かなり残酷である。 残酷なのは確かだが、何故こんなものが作られなきゃならなかったのかを考えると、とても悲しくなってくる。原始的だが、彼らの必死の抵抗であったのだろうと思う。 途中、アメリカ軍が破棄した戦車があった。現在の戦車とはえらく違う、それはお粗末なものである。溶接の仕方など、非常に粗い。アメリカ軍も必死だったのだろうと思えた。
ところで、森の中には時々バンバンと物凄い大きな音がして吃驚する。最初は戦地の演出の為にわざと大きな音を出しているのかと思ったが、実は射撃場が近くにあってその音であった。 ここで銃を撃ちたい人は自分でお金を払って撃つようだ。まあ、まったく興味が無いので土産屋や椅子を探して小休憩とする。 さて、いよいよクチトンネルを体験できるようだ。 案内されたのは観光用に普通の穴をやや広げたトンネル。しかも15m、30m、45m、60m、100mと歩く距離も自分で選べる。「100m歩けばすごい!」とガイドが話していた。 早速穴の中へ♪ いやいや、本当に狭い。腰をかがめて進まなければならない。これより小さい場所はベトナム人は四つん這いで歩いたのだろうか。所々明かりが設置されているのだが、それがない場所は本当に真っ暗。何も見えない。先に進むにつれどんどん人の気配が無くなり、孤立した気分になってくる。何ともいえぬ恐怖が襲われる。 大袈裟かもしれないが45mでギブアップ。足も痛くなってきたし。地上に出ると安心と共に、汗だくになっていた。
でも、これが戦時中は「安全な場所」だったんだと思うと、トンネル歩きというアトラクションでは済まされない。こんな狭くて怖い場所が、「安心できる場所」なんだ。確かに戦時中、外には空爆や薬剤、弾や炎が降り注ぐ世界。それに比べればここは安心できる場所なんだろう。今でこそジャングルのように木々が多い茂っているが、当時は焼け野原。地下は安全な場所である。人間の凄さと愚かさを感じることができる貴重な遺跡だ。 トンネルの後は、当時の人々が食べていたという食物を頂いた。よく分からないが「芋」のようなものである。不味くは無いが、美味しいものでもない。ガイドは「ベトナムのハンバーガー」と冗談を言っていたが、目や耳や体、そして舌でもベトナム戦争を感じることができた。
その後戦争のビデオをしばらく見て、バスに乗ってホーチミンへ戻った。帰りはどこにも寄らず真っ直ぐ帰ってこれたが、もの凄い渋滞に巻き込まれてシンカフェに戻ったのが13時半であった。ほとんど寝ていたが。。
シンガポールの隣人に別れを告げ、とりあえず飯を探しにデタム通りを歩く。 とにかく腹が減っていたので、安そうな食堂を探し(と言っても道端だが)チャーハンとコーヒーを頼んで一休みする。チャーハンも美味かったが、やはりベトナムコーヒーは最高である。甘いコンデンスミルクが疲れた体に良く沁みる。 さて、食事をしながら午後の計画を練る。 とりあえず歩いて行ける市内中心部を目指す事にした。向かったのは統一会堂。南ベトナム政権時代に独立宮殿と呼ばれた旧大統領官邸。1975年に解放軍の戦車が突入して、ベトナム戦争が終結した場所だ。 14時半、チケットを購入して入場。 どの部屋が何に使っているのかは分からないが、たくさんの綺麗な部屋が公開されている。どれも品のある部屋ばかりだ。地下は戦時中の軍事施設が残されており、結構興味深い。ベトナム戦争時代を感じさせてくれる場所である。 それにしても国賓を迎える時や会議がある時にはまだ現役でここは使われているようだが、こんな場所を景気よく開放してくれるベトナムに感謝したい。確実に貴重な場所だ。
さて、次に向かったのはサイゴン大教会。統一会堂のすぐ近くにあるので、歩いて向かった。 途中公園のような木々の生えた場所があり、たくさんの人が休んでいる。若い人が多いなあ。ちょっとした食べ物やジュースも売っている。たくさんの人が座っているだけだが、アジアの好きな光景だ。 教会にはすぐついた。正面から見ると結構大きく、カメラに入らない。下がって下がってようやく撮影。感動というほどでもないが、中々のものかな。 中にも無料で入れる。僅かだがお祈りしている人もいる。ほとんどが観光客だが。
次にどこに行こうか非常に迷った。 時間的にはベンタイン市場に行ってゆっくり買い物をしたいと思ったが、どうしても気になる場所があった。 「戦争証跡博物館」である。 ベトナム戦争を実際に使われた武器や戦車、写真などで展示する博物館。ショッキングな写真もたくさんあるようだ。 結構迷ったが、行く事にした。そう機会もないだろうし。 徒歩で15分。博物館に到着すると、多くの白人で溢れていた。 入場料を払い中に入る。庭にはたくさんの戦闘機が展示されている。本物??なんだろうな。 2階に上がるとエアコンの掛かった部屋がある。そこに展示された写真からは戦争の愚かさが非常に良く伝わってくるものだった。 アメリカ兵の前にうずくまるベトナムのお婆さん。爆撃で手足がもがれた子供。破裂した爆弾。あまりのリアルの迫力に見入ってしまう。とても写真を撮るような雰囲気でもない。多くの白人も真剣に見つめている。有り難いのはこのような撮影に応じてくれた被災者達だ。このような酷い姿を晒されて家族はどう思うのだろうか。でも戦争を伝えるには必要なこと。感謝したい。 その他にも枯葉剤で奇形が続出し、とても目を向けられないような子供や大人の写真、そしてホルマリン漬けの赤ん坊。まったく思いもしなかったのだが、枯葉剤でベトナム人だけでなく、アメリカ兵やその家族、また参戦していた韓国軍の兵士にまで影響が出ていたそうだ。
好感が持てたのが、アメリカ人の悲劇も展示されているところだ。戦争に疲れたアメリカの兵士、怪我を負った軍人、先の奇形写真など、決してベトナムだけが被害者ではないという事を思わせてくれる。勝った方にも負けた方にも、誰一人として戦争で幸せになる事がないと教えてくれているようだ。 外には拷問場を再現した場所もあり、これも興味深い。戦争、というよりは人間とは愚かなものだと本当に思う。 まあ、それにしても博物館の外で戦闘機などと一緒にVサインをして写真を撮っている観光客のおばちゃん、展示物をちゃんと見たのか疑いたくなるなあ。。 博物館を後にし、再びサイゴン大教会まで戻ってくる。時刻は午後4時半。日が短いせいか、既にちょっと薄暗くなっている。 目的は教会の隣にある中央郵便局。19世紀のフランス統治時代に建てられた文化財的な意味も持つ建物だ。細かな彫刻などで飾られ、なかなかのもの。中に入ると、アーチ上の天井が美しい。もちろん今も郵便局としての機能を持ち、多くの人が手紙やら書類やらに書き込んだりしている。観光客も多いため、ちょっとした土産物屋もあるぐらいだ。 最後にベンタイン市場へ向かった。 今日一日歩き続けているので、そろそろ足も痛くなってきた。幸いホーチミンの観光場所は中心部に集中しているので助かる。半日あれば何とか歩ける程度だ。 先程ベンタイン市場の横を通ってきたので、道もすんなり分かる。中に入ると広い天井が印象的なマーケットが現れた。 かなり広い感じがする。中を歩いて分かったのだが、場所ごとに様々な商品がかたまって売られ、その種類は食べ物から衣類、日用雑貨から電化製品まで多様だ。観光地化進んでおり、英語も通じるし、食堂のメニューには英語表記もある。もちろん白人や日本人の姿もよく見かける。 ただ、売っているものには興味を引かれなかった。疲れているせいもあるだろうが、何も欲しいと思う物はなかった。人が多くて歩くのも大変なので、チェーを1杯引っ掛けてからとっとと退散した。 ただ、先の博物館で見た悲劇を負ったベトナム人が、こうやって元気に商売をして生きている姿を見られたので、なんだかちょっと安心した。
外に出るともう真っ暗だ。大河の流れのようにバイクの群れが流れていく。一応信号もあるが、どれだけ機能しているのこの渋滞を見る限り分からない。とにかくバイクの量が多いので、車も動き辛いように見える。 歩道にも人が溢れている。 日曜日の為なのか、たくさんの人がデパートのショーウィンドウの近くで写真を撮っている。この辺りは中心地なので綺麗に電飾された店舗が多いのだが、その場所場所でみーんな写真を撮っている。最初は撮影の邪魔にならないように避けて歩いていたが、だんだん腹が立ってきて最後は写真を撮ろうが撮らまいが関係無しに歩いていた。ホーチミンの人が本当に写真が好きなようだ。 最後に向かったのはドンコイ通り。ホーチミン一の繁華街と聞いて楽しみにしていたが、かなりショボイものだった。高級デパート通りなのかな。バックパッカーには関係の無い場所のようだ。
さて、いい加減に疲れた。宿泊しているホテルはちょっと郊外なのでそろそろ帰って休んだ方がいいかも。適当に食事を終え、タクシーを拾う。 たった一日だけだが、ちょっとだけ旅行者に戻れて嬉しかった。 ホーチミン観光は戦争の跡を辿る観光だった。ベトナム戦争はたった数十年前に終わったばかりの戦争だ。現在もその後遺症に苦しんでいる人は多い。それだけに生々しかった。10歳若ければ感じることも違っただろうが、ここで戦争について学べた事はとても良かった。 今も戦争はなくならない。戦争をして幸せになる人間など誰もいない。人類が誕生して長い時間が過ぎようとしているが、この愚かな行為は未だなくならない。人の愚かさを学べた一日だった。 データ:
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