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ご存知の通りだが世界遺産に登録された紀伊山地とは、古の時代から特別な場所として考えられおり、山岳修行が盛んに行われて来た人々の篤い信仰を受けている場所である。そして2004年に『紀伊山地の霊場と参詣道』として、その霊場の一つである「熊野三山」やそれに繋がる多くの古道が登録された。 そんな本来なら数日掛けて歩くべき由々しき古道なのだが、何せ時間が限られているので、今回は「古道」と「霊場」の一部を訪れる事にした。でも、いずれは「東海道五十三次」と同様、是非徒歩で制覇してみたい場所である。 まあでも、楽をするならとことんと言うわけで自家用車で、しかも人の運転で行くことになった。後部座席に座って楽ちんである。 名古屋出発は朝の5時。もちろん真っ暗だ。 まだ夜が明けぬ中、半分動かぬ頭を動かし迎えに来てくれた友人の車に乗り込む。朝は本当に苦手なのでこういう時はいつも「何で俺はこんな辛い事をしているんだろう」と余計な事を考えてしまう。着いてしまえば何ともないんだが。。 まるで真夜中のような高速道路を西にひた走り、御在所SAで休憩。風が体を切るように冷たい。眠っている頭が一瞬目を覚ます。 やがて随分明るくなってきたと思ったら、高速(有料)道路の最終地点・大宮大台に到着した。時刻は6時55分。 事前調査をあまりしていなかったので、実はもう半分着いた気になっていたのだが、実は熊野古道とはここから本番と言ってもいいというほどこれからの道は険しくなる。・・・何て事は露知らず、後部座席に座って久しぶりの日本のお菓子を「うまいぞ」なんて言いながら食べ続けていた。 長い長い熊野古道の中で、今回選んだのは「馬越(まごせ)峠」である。 「馬越峠」とは、海山市と尾鷲市にまたがる天狗倉山と便石山にある標高325mの峠のことである。熊野古道随一と言われるほどの美しい石畳と尾鷲杉、青々としたシダが訪れる旅人を迎えてくれる人気のコース。尾鷲までは約2時間半の行程だ。
出発は海山市にある道の駅「海山」。 最初この「海山」が読めず、車用自動道筋案内機(通称:カーナビ)に「うみやま」とか「かいざん」とか入力してたが、全く反応なし。ようやくそれが「みやま」だと分かった頃には、既に目的地の近くまで来ていた。 8時30分、道の駅海山に到着。 ここから馬越峠入口までバスが出ていると図書館で借りてきた本に書いてあったのだが、それらしき物が見当たらず、店の人に聞いてみると「入口まで歩いていくんだよ」って教えてくれた。500mほどらしい。 と言う訳で道の駅に車を置き、峠の入口まで歩くことにした。 前日まで雨が降っていたのだが今日は何とか上がってくれたようで、遠くの山中にうっすらと雲が掛かっているのが見える。冬だというのに緑が濃く、吸い込む空気がそれまでのものとは明らかに違う事を感じる。 10分ほどで馬越峠入口に到着。早速登山開始♪ 歩き出してすぐにその石畳が現れる。この石畳は江戸時代・徳川吉宗の時代には既に整備されていたようで、雨の多いこの峠を歩きやすく、また駕籠の大きさにも考慮して造られているそうだ。すごく綺麗だったので、世界遺産登録後にでも整備されたのだと思ったぐらいだ。前日までの雨のせいか、石畳が少し濡れている。滑るので気をつけたい。
想像通りの、絵に描いたような古道が山の中に繋がってゆく。年の瀬の為か人もおらず、とても静かである。友人が先に行ってしまい、1人で歩いていると耳に入ってくるのは自分の石畳を踏みしめる音と、川の瀬のささらぎ、そして風に揺れる木々の音だけとなる。 もちろん空気がおいしいのは言うまでもない。意識しなくても「濃い」というのを感じる。おいしい空気と言うのは体が知っているものだ。 1時間ほど歩くと「夜泣き地蔵」に辿り着いた。文字通り子供の夜泣きを封じる為のものだが、大正時代までは旅人の安全を祈る地蔵が置かれていたそうだ。今は小さな地蔵様が置かれている。軽く手を合わせて目を閉じた。 少し汗ばんできたので上着のジャンバーを脱ぐ。立ち止まり息を整えていると、木々の間から心地よい風が流れてきた。昔の旅人達も、こうして木々の風に当たりながら休んだのだろうか。わら草履に、着物を着込んだ旅人同士が挨拶をしながら過ぎ去ってゆく。途中道脇に昔の休憩所らしき場所があったのだが、そこで団子やお茶を楽しんだのだろうか。知らない人同士で会話を楽しんだのだろうか。こういう場所で一息付ける時こそ、至福の時ではないかと思う。ああ、団子が食べたくなってきた。。
3000mの山を徒歩で登った男であっても、やはり疲れるものは疲れる。毎度の事だが、この一眼レフが重い。三脚は小型の物を持ってきたのだが、友人らに比べると随分荷物が多いのは否めない。それでも親切なことに、全体の位置が分かるプレートが所々あるので気分的に助かる。 少し息は上がってきたがおいしい空気に助けられる事1時間10分、9時40分に馬越峠に到着した。峠には俳句を彫った石碑と、小さな休憩小屋がある。また、ここから天狗倉山や便石山に行くことが出来る。 そしてここからは尾鷲市を一望する事ができた。
ここからは下りなので速いが危ない。 何せ石畳が滑る滑る。そう思っているうちから友人が転んでいた。かなり慎重に峠を下る。 途中また展望台があり、同様に尾鷲市の風景を楽しめる。10時10分に桜地蔵、そして10時半には馬越公園に到着した。ここが我々が登って来た海山発のルートの場合、一応峠のゴールとなる。図書館で借りてきた本には、ここに売店やら食べ物を売る店があるらしいがそれらしき物は見当たらなかった。閉まっていたのだろうか。 さて、峠は終わったが古道はまだ続く。 我々も徒歩しか交通手段がないのでそのまま歩き続ける。尾鷲市中心部に通じる北川橋に着いた頃には、すっかり町の風景となった。ちなみに北川橋には尾鷲中心部を描いた地図の看板があるのだが、そこに「宿場町」「古いお屋敷」「懐かしい昭和の街並み」等とても興味をそそる文面が書かれている。でも、実際は多くの店が閉まっており(年末の為か)、かなり寂しい感じがしたのは自分だけだろうか。
さて手持ちのガイドブックによると、ここから先の道の駅・海山までバスが出ているはずである。尾鷲駅の外れを探しているとバス停を発見した。でも、残念な事に1日1本、しかも朝名古屋駅を出て、熊野古道の名所をぐるっと回り、夜名古屋駅に戻る巡回バスであった。しかも尾鷲駅は11時25分、10分前に出たばかりだった。まあ、どちらにしろ行きたい方向とは「逆周り」だったので利用は無理のようだが。 いやいや、それよりも下にある注意書きに驚いた。 『完全予約制ですので予約なき場合は運休する場合があります』 なんじゃそれ。予約が必要なのか?使えん。。 そしてとどめはその下のステッカー。 『熊野古道巡回バスは平成18年3月26日(日)をもちまして運行を終了させて頂きます』 ・・・終わってるじゃん、もう。 でも全てが正確に動く日本社会で、何だか「アジアの風」を感じられたようで嬉しかった。ここで嬉しいと感じるのはちょっと変だろうか。でも、こういうハプニングこそ旅の醍醐味。窮地に追い込まれてこそ、男の真価が発揮される。 「タクシーで戻ろうか」 友人の一言であっという間に解決法が決まった。 綺麗に列を成して客を待っているタクシーに乗り込んだ。やはりここは日本である。 これまで苦労してきて越えたであろう峠を右手にして走る事15分、海の駅・海山に戻ってきた(2070円)。再び友人の車に乗り込む。心地よい足の疲れが気持ちいい。
飯屋などどこにでもあるや、等と考えていたが意外に少ない。どうにか辿り着いた道の駅「きのくに」で食事をとることにした。 注文したのは「うどんとさんま寿司」のセット(600円)。味はまあまあかな。 再び車で国道42号線を南下する。それにしてもこの42号線とは随分と山を走る道なもんだ。山ばかりじゃなくもちろん海もあるが、直線道路が少なく非常に独特である。さすが山岳修行の場である。 あまり交通が良すぎてもまた白けてしまうが、狭い道の上に渋滞が重なるとさすがに不便を感じる。この辺りの人には申し訳ないが、何だか陸の孤島みたいである。
睡魔と闘いながら2時間、ようやく那智の滝に着いた。後部座席に座っていただけだが長く疲れた。駐車場に車を停め、早速滝に向かう。 那智の滝は、落差133m幅13mと「日本三名瀑」の1つに数えられているそうだ。石の階段を下り、滝の正面に出る。 「おお、高い」 予想よりも高い滝だった。1本滝の名の通り、水が美しい一筋の線となって落ちてきている。近くには飛瀧(ひろう)神社という那智大社の別宮がある。先には滝壺近くまで行けるようになっているが、300円が必要である。ちなみに入場料とは言わず、「初穂料」という全く聞きなれない単語が使われている。お金を払うと入場券代わりだろうか、小さなお札をくれた。 入ってすぐ正面に水飲み場がある。何でも長生きの水らしいが、ここでも「初穂料」が必要。飲むのに100円。こちらは今しがた300円払ったばかりなのに、すぐさまこの対応か。無断飲水も罰が当たりそうなのでやめたが、これぐらい無料にして欲しかった。。 滝壺拝所は余り大した事はなかった。それ程近くに寄れる訳ではないし、何より冬だから水量が少ないのかもしれない。まあ、こんなもんだろう。 那智の滝を後にし、そのまま那智大社へ向かう。 もちろんここから徒歩で行くことが出来る。途中長い石階段などがあり、お土産物屋で賑わっている。歩いている観光客の中からは聞きなれない言葉も聞こえてきた。外国人も多いようだ。 寝不足と疲労で足が重くなり始めた頃、ようやく熊野那智大社に辿り着いた。
「おお、すごい」 だんだん感想がまんねり化してきたが、やはりすごいものはすごい。赤の派手さの中にも威厳さを感じる。 熊野大社本宮、熊野速玉大社とともに「熊野三山」に数えられる那智大社は、社伝によると神武天皇が那智の滝を神として祭ったのが始まりだとされているらしい。 後に信長が焼き払い、秀吉が再建し、吉宗が大改装したそうである。なんとも、まあそれは。。 既に3時を過ぎていたので人はそれ程多くはなかったが、それでもお香の周りや賽銭箱の前で手を合わせる人々は絶えない。境内に敷き詰められた砂利を踏みしめる音や、お香の香りがとても神聖な雰囲気を作り出している。また結構登ってきただけあって、ここからの景色もなかなかである。紀伊山地の山々や遠くには海までも見渡せる。しばし休憩。 ちなみにここの境内には、樹齢800年とされる樟(くす)の木がある。そしてその根の部分は空洞になっておりくぐると無病息災のご利益があるらしい。300円とられるが。。
貰ったパンプレットに記載されたこの名前だけでは全くどこの建物だかわからない。要は三重塔のことである。中は宝物庫として、そして塔自体が展望台の役割も果たしている。入場料200円。。 「豊臣秀吉が再建した熊野では最古の建物」、とあったが中にはエレベーターがついていて上り下りは楽になっている。でもこれを使ってしまうと、階段の途中にある宝物が見られないので登りだけ利用する事にした。 中には幾つかの仏像や、曼荼羅らしき絵が描かれている。量は少ないが、こういう物は好きなので個人的には満足。景色もまあそれなりに楽しめる。ただ、那智の滝の全体が見渡せるが、やはり滝まで行った方が絵にはなると思った。 一通り那智大社の観光を終えると既に午後4時になっていた。 本当は時間次第では熊野三山(那智大社、熊野本宮、速玉大社)を訪れてみたかったが、帰宅の時間を考えるとここで限界のようである。帰りに紀州梅を買い、帰途に着く。名古屋に着いた頃には10時を過ぎていた。 古道歩きは思っていたよりも趣きがあるものだった。 遠い昔の旅人の通った道、、これを書いていて気付いたのだが、時代こそ違えど同じ旅人同士。歩きながら色々な昔の妄想が浮かんできたし、ここには休憩所やお地蔵様、宿場町など旅心をくすぐる要素がたくさん盛り込まれていた。つまらないはずがない。 熊野古道とは、やはり時間を掛けてゆっくりと最初から最後まで歩くのが一番の醍醐味だし、贅沢であろう。 古道の森の中で一瞬だけ感じた「昔の旅の風景」。 陸の孤島だからこそ成せる業であろうか。 Homeにもどる |