時間が限られているので三峡の出発点である重慶までは、飛行機を利用することにした。 しかし、まだバックパッカーの旅に全く慣れておらず、なんとなく取ったフライトは18:40と夜に近い。初めて訪れる町は、出来るだけ明るい内にという鉄則を知るのはこの後である。しかも当時は何故か木の杖を持って旅しており、搭乗する際もかなり怪しまれながら、X線検査をされ、何とか持ちこめた。 重慶空港に到着すると、既に真っ暗。 突然知らぬ場所に放り出されたような感覚だ。何も頼るもの、自分と繋がるものがない。目の前に広がる暗闇に、不安というか恐怖すら感じる。そして言われるがままに乗せられたタクシーで連れてこられたのは、とても宿とは思えない場所。「宿、宿」と連発していたのだが、どうやら今日はここで寝ろと言っているようだ。後に気付くのだが、どうもここはどこかの警備員の宿直室。「外国人が泊まっていい宿」なんかではなかった。しかもかなり汚い。2,3時間うとうとはするものの、当然ながらほとんど眠る事はできなかった。ここの宿は、「宿ワースト1」として未だに破られていない。
翌朝はまだ暗い内に行動を始める。不安で眠れない。 タクシーを拾い、町の中心へ。三峡下りの船のチケットを売る店が開くのを待って、チケットの予約をする。翌日の朝出る便が買えるそうだが、宿泊は今夜からしていいとのことだ。これは助かる。2等席(2人部屋)で、三峡観光が終わる漢口(武漢)までを購入。価格は527元(約7,400円)。安くはないが、これでとりあえず一安心だ。 時間が出来たのでとりあえず重慶観光に出掛ける。 と言っても重慶市内は観光地らしい場所はほとんどない。ここは武漢、南京と並び「中国3大火炉」として暑さが有名だが、まだこの時期はそれほどでもない。坂が多く、自転車が少ないことでも有名だが、それも観光とは関係ない。 仕方がないので市内のデパートによって時間を潰したり、街の人波を眺めたり、唯一観光地らしい「重慶長江大橋」を見たりして夕方までを過ごした。
少し早いが夕方近くに船乗り場までやって来る。腹ごしらえや、乗船中のお菓子等を買い込む。 ちなみに今回は中国人民解放軍の人民靴を履いて旅しているが、最近ようやく使い込んでいい味わいが出るようになってきた。西安にいる時からずっと履き続けていたのだが、硬く、足に馴染むまでに随分と時間がかかった。汚れ具合もマッチしてきて旅の雰囲気によくあう。 ところが、だ。街中で出発まで休憩していると、子供の靴磨きがどこからともなくたくさん現れてきて、「靴を磨かせろ」と執拗に迫って来る。せっかくいい汚れ具合になってきたのに、磨かせる訳にはいかんとして避難するのだが、ちょっと気を抜くと勝手に靴を磨き始める。いやはやこれには困った。 夕方を過ぎるとようやく乗船できるようになった。 船は大きく、中は汚いが客室はまずまずであった。今日から3泊する場所なのでとりあえず一安心である。それより何よりも嬉しかったのが、同室になったのが同じ日本人であったことだ。年齢はそれほど変わらず、三国志ゆかりの地を巡って旅しているそうだ。彼のお陰で三峡の旅はぐっと楽しくなった。 船旅中、食事はちゃんと付いてくる。好き嫌いはないので、これは有難い。味は可もなく不可もなく、だ。
少し今回の三峡下りについて話しておこう。 中国6300qにも渡る長江。その重慶から宜昌までに広がる大峡谷を俗に指す。三峡とは、瞿塘(くとう)峡、巫峡(ふきょう)と西陵峡(せいりょうきょう)の有名な3つの峡谷であり、特に景観等が素晴らしいとされる。現在(95年)三峡ダムの建設が進められており、完成すれば水位が上がり景観や、史跡等が水没すると言われている。今回は重慶から宜昌を越えて、武漢までを旅する。 船は順調に出港する。やがて周りの岩壁が迫ってきて渓谷っぽくなる。長江らしく流れは穏やかなので、ゆったりと見物できるのもいい。2等は一応「お金持ち席」のようで、船主から景色を堪能できた。 しかし、景色がいいのとは裏腹に、中国人観光客の態度振る舞いには辟易させられた。ひまわりの種をおやつで食べるのはいいのだが、食べては川にポイ捨て。お菓子も食べては袋をポイ捨て。挙句の果てには食べたカップ麺を、スープの入ったまま川に投げ捨てているのは唖然とした。お陰で長江はゴミだらけだ。重慶でもゴミが多いなあ、と思っていたが何ともやるせない気分になる。
船はゆっくりと進み安心なのだが、さすがにずっと外にいると飽きてくるので時々船室に戻って本を読んだりして時間を潰す。ベッドにごろりと横になって昼寝をしたりする。ちょっと値は張ったがちゃんとした部屋になっていた良かった。 ちなみにだが、今回は初めての長期(?)個人旅行だったので、あり得ないものを結構持ってきていた。例えば辞書。日-中、中-日辞典をそれぞれ一冊。シャンプーとコンディショナーは「ボトル」で持参。さらにドライヤー整髪料など後に考えれば笑ってしまうほどの重装備であった。お陰でバックパックもかなりずっしりと重く、移動には結構苦労した。でも、このずっしり感が後々に「旅に出ると生きていること」を感じさせてくれるひとつの要因となった。 今回乗り込んだ船は、観光船というよりは運搬船といった意味合いが強いらしく、白帝城などの観光地は訪れない。峡谷のアナウンスもないので、どこをどう移動しているのはさっぱり分からない。ただ有名らしい峡谷に入ると、周りがざわめくので慌てて外に出る。でもまあ、そんなことに不満を抱くほど旅慣れてもいないので、それはそれで特に気にならなかった。 そんな中で2日目の夜に万県の港に立ち寄った。 ここでは下船が許され、少しばかり夜の港町を歩く。道沿いにちらりほらりと露店が出ているぐらいで大した物はないのだが、ここで中国で初めて焼き餃子を食べた。通常中国で餃子と言えば、水餃子か蒸し餃子である。焼き餃子は「余り物に火を通した」というイメージがあるのであまり食べられていないのだが、ここの焼き餃子は美味しかった。少し買い物をして船に戻る。
翌日からは三峡の見どころである瞿塘峡、巫峡、西陵峡に差し掛かる。 と言っても、アナウンスも説明もないので、なんとなく迫力ある風景を眺めているだけだ。でも景色はなかなか。切り立った風景の中を進むのは格別だ。しかし景色が進むにつれ中国人の行動もエスカレートする。食べ物を川に捨てまくるのは変わらないが、今度は写真撮影のために柵によじ登って撮ったり、柵の外に寝転んでポーズを取ったりとやりたい放題だ。ちょっと引いてしまう。
やがて船は最後の三峡である西陵峡に差し掛かる。中々の絶景だ。これまでとはちょっと違う。中国人も皆必死に写真を撮る。みんなの感嘆の声が上がる。これぞ三峡って感じだ。
三峡を過ぎ、しばらく進むと川幅がだだっ広くなってくる。 そして洪水防止と水位調節をする葛洲 ![]() 宜昌から先は全く風景が変わってしまった。とにかく何もない。ただ広いだけの長江だ。まあこれがイメージする長江なのだが、何とも味気ない。そして先の宜昌で一緒だった日本人も降りてしまい、現在は再び一人きりになっている。ひとり旅で来たはずなのに、ひとりになると寂しくなるのは何ともおかしなものだ。
やがて船は漢口(武漢)港に到着。 本来なら武漢市内観光でもすればいいのだが、ひとりになってしまい、しかも三峡という目的を達成した為か空虚感が強まっていて宿にチェックイン後、そのままだらだらと過ごしてしまった。 翌日はガイドブックを見ていて行きたくなった襄樊(じょうはん)に行くことにした。襄樊は昔は襄陽と呼ばれ、若き諸葛孔明が晴耕雨読生活を送っていた古隆中や、蜀の劉備が追手から逃げる際に名馬「的櫨」で飛び越えたという渓谷「馬躍檀渓」など三国志のゆかりの地がたくさんある。 武漢駅から列車で早速襄樊へ向かう。もちろん硬座。車内は人でごった返している。 襄樊の駅はそれなりに大きかった。早速安宿を探しに駅周辺をうろつくが、何故か外国人宿泊拒否に立て続けに遭い、仕方なく駅前の立派なホテルに泊まる事になった。110元(約1,540円)。とてつもなく高い。。
とりあえず馬躍檀渓へ。市内から11路のバスに乗り、「青山路口」で下り、15分ほど歩くと辿り着く。 名馬「馬躍檀渓」で跳び、敵の軍勢が追手来れなかったという渓谷なので相当なものを期待していたのだが、着いてびっくり。自分でも跳べるほどの小さな小川程度であった(水すらない)。しかもコンクリートでしっかりと固められており、そこにある岩に的櫨が着地した蹄の跡がしっかり残されている。あり得んだろう。三国志ファンなら誰もが知る名所なのだが、現在はその跡形もないようだ。
続いて古隆中へ。 ここも三国志ファンなら誰もが知る諸葛孔明の庵だ。当時まだ国を持たなかった劉備が、臥龍と呼ばれる孔明を3度訪問して軍に迎えたという逸話の場所だ。劉備47歳、孔明27歳。これが「三顧の礼」という諺の元であり、そしてここで劉備は孔明より中国を三分割するという「天下三分の計」という戦略を聞く。 駅前からミニバスに乗り約1時間。森の中を走り、到着する。 古隆中は意外と広い。牌坊という門に始まり、草庵、三顧堂、武侯祠などで構成されている。静かな森の中にあり、若き孔明が晴耕雨読をして過ごしていた雰囲気は十分に感じられる。観光客はそれほど多くはなかったが、劉備の蜀軍に関する建物や人形などがたくさんあり、三国志ファン、特に孔明好きには外せない場所だ。 ただ、色々なものが建ち過ぎていて、「ひっそりと暮らしていた」と言うイメージにはちょっとほど遠い。
古隆中を見学し終え、西安に帰ることにした。 近くには同じく三国志関連の徐庶の墓があるそうだが、正直言ってひとりの苦痛に耐えられなくなっていた。残念ながら、まだひとりで旅をするという面白さを全く見いだせていなかった。 襄樊駅で西安行きの列車を訪ねると、「有る」と言う。夜行なのに約46元と購入して値段の安さに驚いたのだが、やはり硬座であった。寝台ではなく、椅子に座って行かなければならない。 しかも乗ってみて分かったのだが、襄樊は途中駅であり、乗車して車内を見渡しても空いている席など一つもなかった。仕方がないので車両と車両の間のトイレの前のスペースに座り込み、揺れに身をまかせながら夜を明かす。周りはゴミだらけだ。もの凄いゴミの山。しかもトイレが近いので、強烈なにおいが常に漂う。トイレを待ちきれなくなったおばさんが、扉の外で用を足し始める。真夜中でうとうととしていたが、硬座車内では何が起きてもおかしくない。 翌日西安に到着した時は、本当に安心した。 初めてのひとり旅。実にほろ苦いデビューとなったが、この旅でかなり度胸が付いたのも確かだ。旅の術(すべ)も着実に上がった。これからバックパッカーとして中国で鍛えられていく初めての旅となった。 データ: Homeにもどる |