1.シルクロードの旅 〜西安、張液、嘉峪関〜 2.シルクロードの旅 〜敦煌、ハミ、トルファン〜 3.シルクロードの旅 〜ウルムチ、イーニン、カシュガル〜 4.シルクロードの旅 〜タシュクルガン、パキスタン(フンザ)〜 ![]() 中国の大学も夏休みに入り、友人らと一緒に内モンゴル、北京を旅して再び西安に戻ってきた。 西安は滞在しているので地元になるのだが、天津から来た友人は初めての地。なので一緒に西安観光に出掛ける。これから始まるシルクロードの旅の出発点にはまさに西安はもってこいだし(ここはシルクロードの出発点)、実はまだ行っていない観光地も結構ある。と言う訳でいざ西安観光へ。 西安は昔は「長安」として栄え、実に十数もの王朝の首都として数千年の歴史のある町である。お陰で遺跡などは豊富にあり、観光地業も盛んである。
まずは碑林へ。 中国は昔から国の通達、記録などを石に彫っておく習慣があり、それらを集め保管されたのがここ碑林だ。その歴史は数千年と言うから凄まじい。中にはその名の通りたくさんの碑石がある。しかし、あまり興味がなければ「そうなのか」で終わってしまう場所になりそうだ。歴史的価値は大きいのは十分に分かっているのだが。。
翌日からは西安郊外にある観光地を巡る為に、駅前から出ているバスツアーに参加した。基本は中国人用で、説明はすべて中国語。バス代のみで観光地の入場料は含まれていないが、その分10元程度と安い。東線と西線があるが、まずは始皇帝稜や華清池を訪れる東線に参加することにした。 早朝に西安駅に集合する。バスはミニバスで、席は早い者勝ちだ。残念ながら中国人のパワーに負け、中央の補助椅子になってしまう。友人と縦に座る。 始皇帝稜に到着。ご存知の通り中国初の皇帝のお墓だ。広大な面積と、一緒に埋葬された多くの人や馬などの人形が有名。皆東を向いているのも特徴だ。 始皇帝稜は綺麗に整備され、建物も近代的で新しい。外はうだる様な暑さだが、中に入ると意外と涼しい。数々の展示品や、現在も掘り続けているという場所を見ることができる。一部は人形などによる調査の展示だが、それなりの雰囲気は楽しめる。 そしてやはり人形や馬の立ち並ぶ姿は圧巻である。日本の古墳やタージマハルなど昔の偉い人は凄い墓を作るが、ここもやはり世界屈指の墓であろう。
続いて華清池へ。ここは所謂「温泉保養地」。周や先程の清の時代から、皇帝などが利用した。楊貴妃が好んだことでも有名だ。現在はとても保養地と言うイメージではないが、立派な西安の観光地となっており、現在もこの山合いの地に多くの人が訪れている。 華清池の後は、半坡博物館等を巡って終了。西安に戻ると夕方になっていた。
翌日は西安市内にある大雁塔へ行く。地元なのでここは何度も訪れている場所だ。ご存知の通り、西遊記で有名な玄奘がインドから持ち帰った経典を著した場所である。 後日、今度は西線に参加。ここでは乾稜や法門寺などを訪れる。 乾稜は唐の第3皇帝とその妃である則天武后の合葬墓だ。規模がとても大きく、付近から唐の貴族の生活を描いた壁画なども見つかっている。ちなみに乾稜が見える近くの山に登って景色を楽しんでいたら、バスの時間に遅れ酷く叱られた。よく考えればツアー客の誰もあんな山には登っていなかった。。 その後法門寺へ。ここは漢時代に建立された寺で、釈迦の指部分の遺骨を納めた寺として有名らしい。また1987年の調査では地下宮殿が発見され、そこから金銀や宝石で装飾された財宝が見つかったという。 塔だけでも立派である。財宝は確かにすごいが、中国の塔は均整のとれた美しいものが多い。ここもその一つに間違いないだろう。
さて、いよいよ西安を発つ日がやってきた。 今回の目的は、ずばりパキスタン。パキスタンの大地を踏む事が一番の目的だ。メンバーは3人。最初は自分と天津の友人と2人で出掛ける。そして途中ウルムチで、もう一人の友人と合流する予定だ。絶対に3人で訪れる事を願って、3枚の習字の紙に大きく文字を書く。それをあわせると文章になるのだが、一枚ずつ持ち寄ってパキスタンでつなげる。小さいが、大切な目標だ。 列車の出発は21時40分。最初の目的地は張液。本当は嘉峪関まで行きたかったが列車の切符が「没有(ない)」とのことで、仕方なくその手前の街にした。しかもこの時期は休みで切符が取り難いのか、その張液までもなんと「硬座」。ちなみにその張液までは32時間。硬座なので寝台ではなく、「硬い椅子」だ。仕方がない。。 中国の夜の駅というのは独特の寂寥感がある。薄暗い青白い蛍光灯の光り、暗闇で動く多くの人、広い割りに足りない照明。西安という安住の地から動くという一種の不安感。幸いひとりではないので心強い。 硬座の硬い椅子に座る。車内は薄いオレンジ色の光が灯っており、生暖かい空気が流れている。バックパックを棚の上に置く。硬座は危険も多く、盗難の発生もよく聞く。バックには簡単な鍵をつけ、ベルト部分をしっかりとに棚にくくりつける。 友人と座り続けるが、ほとんど眠れることなく夜が明けた。 硬座の席も明るくなると何とか気分も晴れてくる。窓からの景色は既に山一色となっており、既に西安という都市の面影すらない。気分が少し晴れる一方、車内には多くのゴミが増えてきた。時々車掌らしき人間がほうきを持ってゴミの山を掃くのだが、あっという間にまた山となる。小さな停車駅ごとに中国人が窓に寄ってくる物売りから、菓子やら卵やらを買い、食べては捨てる。皆大きな袋を持っているのだが次々と食べ物が出てくる。中国では開水(カイシュイ)といって、ほとんどの宿泊場所(列車などでも)で熱いお湯が手に入る。つまりどこでもインスタントラーメンが食べられる。列車の中でもカップ麺は大人気だ。無論、すぐにゴミと化するが。 2日目の夜がやってくる。 さすがに体力が落ちてくる。あまり眠れないのと、盗難などを警戒している為だ。幸い二人なのでトイレなどは替わりで行ける。食べ物も単調となり、座りっぱなしの為尻もかなり痛くなっている。 それでも眠ることができない。ウトウトとするのだが、眠ってはいけないと思っているのか眠れない。 そして朝方の6時頃、ようやく張液に到着した。硬座32時間の試練が終わった。 とは言え早朝の駅はまだ暗く、とてもこれから街中に行くこともできそうにない。と言うよりも、もうふらふらだ。「危ない、ダメだ」と思いつつも、友人と二人そのまま駅のベンチに座ると、すうっと眠りに落ちてしまった。
気付くと周りは明るくなっていた。普通に中国人が歩いている。時計を見ると眠ってしまったのは1〜2時間のようだ。幸いカバンや貴重品に異変はない。良かった。疲れで朦朧としていたとは言え、軽はずみな行動であった。しっかりと反省し、張液の町にでる。 ![]() 張液はシルクロードのオアシスである。 祁連山脈から流れる水が、この街に緑と豊かな恵みを与えている。あのマルコポーロもこの町で1年を過ごしたという。 早速街中で宿を見つけチェックインし、散策に出かける。 まず向ったのは通称木塔寺と呼ばれる「万寿寺」だ。中学校の敷地内にあり、見学は自由。高さ32mの八角九層の見事な塔だ。 そして街の中心となる鐘楼を越え、張液のシンボルである宏仁寺へ向う。 この寺を有名にしているのが巨大な涅槃物だ。その長さは34.5m。中国にある涅槃物の中でも最大級の物らしい。 入場料を払い、早速大きな建物の中にある大仏を見物。確かにでかい。顔だけでも見上げなきゃならないし、それに持っていたカメラでは全然収まらない。寺自体はこの涅槃物を収める為だけにあるようなものだが、それでもなかなかのものだ。
夜は張液で有名な夜市へ行く。 夜市とは要は屋台の集まりのようなもの。様々な小吃(屋台でちょっと食べるような物)や、シシカバブー(羊の焼肉)など色々楽しめる。ふらふらとつまみ食いし、宿へ。移動疲れのため張液では非常に良く眠ることができた。その後も甘泉公園などを散策。結局ここでは2泊して、次の目的地である嘉峪関へ向った。 ![]() 幸い張液から嘉峪関までは近い。近いといっても列車で5時間の距離だが。。 5時間なので寝台などなく、無論硬座。しかも今回は途中乗車なので、席すらない。通常は車両と車両と間に空きがあるのだが、何故か満員でここにも場所がない。仕方がないので列車の中で「立って」5時間を過ごす事にした。。 予想よりもかなりきつかった。 5時間と舐めていたのだが、次第に足や体が軋んでくる。しかもこの「立ち席」にまで人が溢れてきて、最後には身動きもできない状態に。窓の景色は青空に砂漠のような荒野が広がっていて綺麗なのだが、列車の中では非常に辛かった。 嘉峪関は万里の長城の西の果てである。 明の時代1372年に名将馮勝(ふうしょう)がモンゴル軍からの襲撃に築き上げたもので、楼閣や門を持つ立派な城壁を持っている。そして万里の長城に繋がる関の中で、唯一建設当時の姿を持っているという。 電車を降り、早速街中へ向かう。嘉峪関賓館に宿を取り、レンタルサイクルを借りて一番の目玉である嘉峪関へ行く。 この辺りもずっと荒野なのだが、その荒野の中に嘉峪関の楼が見えてきた。結構大きい。大きいというよりは長いと言った方がいい。 ちょっと高めの入場料を払い門をくぐる。 雰囲気はなかなかよい。砂漠の中に寂寥と佇む城閣だ。有料だが上に登ることもでき、広大な土地を見渡せる。照りつける太陽は厳しいが、建物の中は風が吹くと涼しくて心休まる。中々立派なものだ。
宿に戻ると、ツアーデスクがあるのに気付いた。何気なく覗くと何とこの砂漠の荒野の地で「氷河」が見れるらしい。写真には雪と氷がいっぱいの風景が写っている。聞くと気楽に行けるとのことで、申し込んでみた。しかし強制的に保険(30元)に入らされたのがちょっと気になる。 翌朝ツアーが出発する。我々2人だけのようだ。行き場所は「七一氷河」と呼ばれる場所で、この辺りでは有名らしい。後で知るのだが、「七一氷河」とは祁連山脈の中央に位置する氷河で、氷河峰が海抜5158.8m、氷河舌(ひょうがぜつ)が海抜4304m、嘉峪関市から116qの距離にある。4,000mを超す位置まで行くことになるのだが、そんな事はこの時点では露も知らなかった。 市内を出て1時間もすると景色は山のものと変わっていった。何もない広大な景色の中を走り続け、だんだん山が険しくなってゆくのが分かる。また1時間程走り車が止まる。小さな川が流れており、山に向かって小さな道が出来ている。 ここから先は歩け、と言う。 半信半疑のまま友人と歩く。だいぶ車で上がってきたようで、結構涼しい。道はよく踏まれていて特に迷う心配もない。が、誰もいない。それでも結構夢中になって歩いた。
登るに従い、だんだんと道に岩が増えてくる。周りの山も随分と高くなってきている。見上げても道は永遠に続いているように見えるし、少し空気が薄くなっているのか呼吸も苦しい。やがて数時間後には氷河に着くのだが、その頃にはバテバテであった。何せ標高は4,000mを超えている。岩だらけにになっており、数十メートル這い上がるだけでぜいぜいと肩で息をしなければならない。 しかも寒かった。高山で氷河なので、当たり前と言えば当たり前の話だが、上着も長袖一枚しか持って来ておらず、じっとしていると震えてくる。
それでも氷河は迫力があった。もの凄く大きくて、自然の恐ろしさすら感じる。時々ぎしぎしと言う音がかすかに聞こえる。生まれて初めて氷河を見た。まさかこの砂漠の旅で氷河を体験するとは夢にも思わなかった。 ちなみにツアーデスクで見た雪や氷はなかった。曰く、「夏なのでこの程度」、だそうだ。
翌日は酷い筋肉痛に悩まされた。 知らずは言え、4,000m級の山を歩いてきたのだから無理もない。ドミトリーのベットから最初は動けなかった。体調を整えて今日も観光。本日は万里の長城の西の果てである、「懸壁長城」へ行く。 市内からはちょっと遠いが、気合で自転車で行く。 広大な大地に目指す長城はあった。第一印象は「よく修復されている」だ。そして第二印象は「修復し過ぎ」である。立派な楼閣はまだしも、長城の土壁が真新しすぎる。「昨日、土、盛りました!」って感じだ。ここが万里の長城の西の果てで、この先ずっと中国大陸を走っていると感慨深いものがあるが、この修復を見ると「その山の向こうにはもう長城は崩れて途切れているんじゃないか?」とか思ってしまう。 人も少なくてゆっくり観光でき、歴史的にも貴重な遺跡だけに、修復方法にはもう少し気を遣って欲しい。
次の目的地は敦煌。日本でも有名な場所だ。 敦煌までは列車が通っていないのでバスで移動。この旅初めてのバス移動だ。 データ: 2.シルクロードの旅 〜敦煌、ハミ、トルファン〜 Homeにもどる |