第七章:「帰国」 少し飲みすぎたせいか朝になっても頭が重い。部屋には昨晩飲んだビール瓶や、ウィスキーのボトルが乱雑に置かれている。カーテンから差す光の量で既に昼近い事は分かったが、まだ起きる気分はしなかった。時計を見ると11時少し過ぎだった。 「コーヒーって気分、じゃないな。。」 昼過ぎまで部屋で休んでいると幾分楽になってきたので、近くで遅い昼食をとり、外を散歩する事にした。 相変わらず旧市街地はいろんな人で溢れている。活気があっていい。外国人旅行者だけでなく、現地の人々の生活が旧市街に地には随分と残っており、それがまたこの街のいい味を出している。道端では何をするでもなく爺さんや婆さんが座っており、また中年の女性はその隣で色とりどりの野菜を広げ売っている。痩せ細った犬は、建物の日陰で気持ちよさそうに眠っている。 だが、この非日常も明日で終わる。これは本物だが、言ってみれば男にとっては現実ではない世界。一時の夢、ひと時の心地よい酔い。これが現実になれば夢は覚め、そして旅は終わる。 男はお土産を買う為に、旧市街地の土産物屋が集まる一画へ向かった。 「ウェルカム・サー。見るだけね、見るだけ」 「やすいよ、しゃちょう」 日本人旅行者も多い国なのである程度は仕方ないが、それにしてもこういった日本語を聞くとあまりいい気分はしない。男は恋人にアクセサリーを買う為にそれらしき店に立ち寄ったが、店頭に並べてある安っぽいアクセサリーを見ていると、すぐに近くにいた50過ぎの老婦人が話しかけてきた。 「3つで400ボリー、やすいよ」 「3つも要らない。1つ幾らだ?」 「1つだと200ボリーだよ」 「200ボリー・・・ ありがとう、また来るよ」 「何だい、分かった。390ボリーでどうだい」 「いや、結構」 立ち去ろうとする男に老婦人の「350ボリー!」って声が聞こえて来たが、特に興味を持っていた訳ではなかったので気にすることなく店を後にした。結局近くの店で、同じようなアクセサリーを幾分安く購入した。
宿に戻り一休みしているとすぐに夕飯の時間になったので、食事も兼ねて再び外に出掛けることにした。気は進まないが繁華街にも行かなければならない。 外に出ると既にかなり暗くなっていた。屋台街に連なる白熱灯の明かりと人々の活気が混ざり、昼間とは違った表情を見せている。外国人旅行者に交ざり、多くの地元の人もテーブルに座り酒を飲む姿も見える。日が落ちたせいか幾分昼間よりは涼しい気がした。男は安っぽいサンダルを軽く地面に当て、心地よい音を立てながら歩いた。 「あ、どうも、久しぶりっす!」 男が歩いている横から金髪が声を掛けてきた。 「久しぶり。もう大丈夫なのかい」 「ええ、助かりましたよ。ありがとうっす。入院って聞いた時は自分でもびっくりしましたけどねえ」 「最近の大きな病院は何でもかでも入院させようとする。多分金目当てだろうな」 「いや〜、それでも立派な病院で、まるで1流ホテルに泊まってるみたいだったすね。ところでメシ食ったっすか?」 「いや、これからだが」 「じゃあ、一緒に行きましょう。俺、おごるっすよ」 「いいよ別に。でも食事は一緒に食べようか」 「あーい」 男と金髪は近くの屋台でビールと簡単なタビタビ料理を楽しんだ。疲れの為か、酔いもまわってすぐに気持ちよくなってきた。 「そういえば帰国ってもうすぐじゃないすか」 「ああ、明日だ」 「明日?ええ、まじっすか。そりゃ寂しいなあ」 「まあ、旅に終わりは付き物だからね」 「そうっすね、俺もそろそろ帰国して真面目に職探そうっかな」 「まあ、それもまた選択肢の一つだな」 「でも職に就くと旅に出れなくなりますよね」 「ああ、それは間違いない」 「まあ、とりあえず今夜の2人に乾杯!」 「ああ、乾杯(何か少しキャラ変わったな、こいつ)」 「・・・で、大変だったんすよ。1人山の中に残されて、普通の人じゃあのまま遭難ですよ、まったくねえ」 「そうか、それは大変だったな」 「・・・で、すっごく綺麗だったんすよ、ホントに。あれ見られる人ってそんなにいないと思うんすよ。ホント俺ってラッキーだったっすよ」 「そうか、それは良かったな」 体調はすっかり良くなった様で、相変わらずいつもの調子で喋り続けている。時間があればもう少し居てもいいのだが、そろそろ金髪との会話にも疲れてきたので、男は清算をして繁華街へ向かう事にした。 「次、どこ行くんすか?」 「ああ、ちょっと繁華街まで」 「繁華街?・・って、女っすか?」 「んん・・・ まあ、違うような、そんなような・・」 「そうっすか。じゃあ、俺は部屋に戻りますね。お気をつけて」 「ああ、ありがとう」 男は金髪と握手をして、繁華街に向かった。
繁華街は旧市街と市内とのちょうど中心にある。面倒だったので男はタクシーに乗って行く事にした。タクシー運転手に場所を告げると、運転手は少しだけにやっと笑い車を走らせた。タクシーの中では大音量で流れていたタビタビの演歌がうるさかった。 まだ20時を過ぎたぐらいだったが、繁華街は既に多くの人で賑わっていた。明らかに旧市街地とは歩いている人も、場の雰囲気、そして空気が違う。タビタビの女性はほとんどが肌の露出が多い服を着て歩いており、カラオケ店だろうか、店の前に何人ものそのような女性がたくさん座っている。人も多いが、怪しい看板もたくさん出ている。タビタビ語で書かれたもの多いが、日本語のものも意外と多い。日本人も多いのだろう。そう思ってよく見渡すと、ワイシャツにネクタイを締めたそれらしき日本人もちらほら見かける。とりあえず男は雰囲気の良さそうなオープンバーで1杯飲む事にした。 同じ銘柄だが旧市街地の倍の価格はするビールを飲んでいると、1人の女性が話しかけてきた。 「こんばんは、ここ すわってもいい?」 どうぞ、と言うより先に女性は男の隣に座った。どうみても男よりは若い、20代前半だろうか。薄暗くてよく分からないが彼女が隣に座ると、どこかで嗅いだような香水の香りがした。 「あなた、にほんじん?」 「ああ、そうだが・・・」 「わたしナオミ。よろしくね」 「ああ」 思ったより上手な日本語を話す彼女に少しだけ驚いた。少し色は黒いが、すらっと伸びた長い手足に白いミニスカートが良く似合っている。目も大きく、髪もセミロングだろうか綺麗にまとまっている。昔どこかで見た女優の顔を思い出した。 「きょうはひとり?」 「ああ」 「いつ、タビタビにきたの?」 「1週間ぐらい前かな」 「いつ、かえるの?」 「明日だ」 「そうか、、なんかしずかね」 やはりあまり興味がない事はすぐに分かってしまうのだろう。女は大きく胸元の開いた服をさりげなく見せながら話していたが、男にその気がないと分かると身を翻すように他の男のところに行ってしまった。女も店で働きつつ、客を取って稼ぎとしている。これは別に特別な事ではない。しかし、他の男と楽しそうに話す女の後姿を見ていると、興味はなかったはずなのだが妙な気分になった。男はいくら飲んでも酔わないビールをそのままにして、店を出た。 繁華街にあるメイン通りからは1本外れているのだが、それでもたくさんの人の熱気で溢れていた。道にはそれと分かる女性が何人も立っていて、時々すれ違いざま男に声を掛けてくる。白人やら、性別のはっきりしない人間やら、とにかくここは昼間とは違う世界だった。男は大通りに出ると、タクシーを拾う為に手を挙げた。
男は自分の宿に戻ると、部屋には行かずにロビーの椅子に腰を下ろした。随分遅い時間だったので、ロビーにはまばらな人しかいなかった。コーヒーでも飲もうかと思ったが、すでに売店に人はいなかった。 しばらくするとフロントにいた従業員がきょろきょろしながらこちらに歩いてきた。 「私宛の電話かい」 「ああ、そうだ。よくわかったな」 男は従業員に軽く礼を言うと、フロントに置かれた安っぽい受話器を手にした。 「もしもし」 「お疲れさん」 「ああ、疲れたよ」 「大変だったでしょう、この1週間」 「そんな事はない、旅が好きだからな」 「そう言ってもらえると嬉しいよ。こちらもいい原稿が書けそうだ」 「それは良かった。期待しているよ」 「君のお陰だよ、本当にありがとう」 「いやいい。それより疲れたんでもう寝ようと思うのだが」 「ああ、そうしてくれ。また日本で会おう」 「ああ」 「じゃあ」 男は受話器を従業員に返し、そのまま部屋に戻る事にした。男が階段を上り始めたその時、後ろから従業員の声がした。 「ミスター、この本は君の忘れ物じゃないかい」 従業員の手には「旅日記」と書かれた古びた1冊の本があった。男が大切にしている日記だった。従業員はにっこり笑いながら男に差し出す。 「ありがとう、おやすみ」 「ああ、おやすみ」 男は再び階段を上り始めた。
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